沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

人生折り合い付けて楽しく生きることと仏教

仏教の苦の考えに対して、人生折り合い付けて楽しく生きればいいじゃんという反論があるけど、仏教はその考えの前提である幸福観を否定しているんじゃないかなーという話。

 

仏教には苦(ドゥッカ)という概念がある。

これは終わりのない不満足な状態のことで「もっと欲しいもっと欲しい」と感じることである。およそ私たちの感じている世界は絶対に一定の状態に留まらないので欲望が完全に満たされることはなく、一時的に満たされたように感じてもすぐに新しい刺激を求め続ける。

そして欲望がある限り常に満たされないため苦が付きまとう。よって苦を滅するためには欲望を滅すればいいことになる。

 

このような仏教の苦の話を見聞きするたびに思うことがある。

 

「確かに楽しさや幸せは持続せずにもっともっと欲しくなるっていう一面はあると思うし、それが苦しみの原因というのも1つの見方だと思うよ。でもさ、際限がなくてもぼちぼち楽しいことやって幸せになって、その気持ちが弱くなってもまた新しい楽しいことや幸せなこと見つけていって、ある程度妥協して苦しみもあったけど楽しい人生だったなって最後に思えたらそれでいいんじゃないの? みんなそうやって人生に折り合い付けて生活してるんじゃないの? 苦しみを滅するとか言って悩んで修行とかする前に、自分が楽しいことや幸せになるようなこと見つけようよ」という言葉がずーーーっと響いている。

仮にこの考え方を「人生折り合い派」と名付けてみよう。

 

正直まっとうな意見だと思うのでなかなかこれに反論できない。

 

1つの反論としては「いやいや、仏教では輪廻が前提としてあるから、来世でできるだけ苦しまないように今のうちに修行して苦の原因となる欲望をできるだけ除かないと」というのがあるが、「輪廻があるかどうかなんて分からないじゃん。たとえあるとしても、また折り合いつけながら楽しい人生になるようにできることしてけばいいじゃん?」って言われると、確かにそうなんだよなー…となってしまう。

 

いやいや、このようなまっとうな意見は歴史上何度もあったはず。それでも何千年も続いている宗教なのだから、もう少し反論を考えてみよう。

 

ちょっと思いついたので、幸せゲージという概念を考えみよう。完全に不幸な状態が幸せゲージ0の状態で、ゲージが満たされた状態が完璧に幸福な状態だ。このゲージは時間経過で減少していき、楽しいことをしたり幸せを感じると増加する。

上記のような人生折り合い派の人が想定しているのは、この幸せゲージをある程度維持した状態(60%か70%とか程度は人によるだろうが)で人生を終えるという考えだろう。

 

対して、仏教における試みは、この幸せゲージそのものを破壊する類のものと感じる。

幸せ(欲望)を概念ごと消す。よって幸せゲージはなくなる。ゆえに幸せに達しない状態も消える。そこにあるのはただそれがあるという状態のみだ。

 

釈尊の伝説の一つに、生まれたときに天上天下唯我独尊」と言ったというものがある。「世界において唯だ我独りとして尊し」という意味らしい。

 

ここにただあること。それが尊い

 

何かをしているから尊いのではない。何かを持っているから尊いのではない。何かを足したり引いたりして尊いのではない。誰かや何かと比較して尊いのではない。

 

そういう境地を仏教は目指しているのかもしれない。

 

仏教徒ちゃんさんは以前の座禅会にて座禅の意義を「実存の転換」と表現していた。ただここにあるだけで満足の状態に至るための修行が座禅なのだとおっしゃっていたことが、ここと繋がってくるのかもしれない。

 

仏教徒ちゃんさんがその話をしていた時の記事

 

numamemo.hatenablog.jp

こう考えてみると、仏教は人生折り合い派のそもそもの前提を否定しているように思う。

人生折り合い派の前提とは「幸せゲージがある程度溜まっていれば幸福である」というものだ。別の表現で言えば、人生には幸(プラス)と不幸(マイナス)があって、それがプラスになるように生きられれば幸福という考えだ。

 

仏教では、上記のような幸不幸をプラスに傾けようとすること、つまりは人生折り合い派がある程度幸福とするその状態こそがそもそも苦(永遠に満たされることがない状態)だと考えるのだろう。

 

「人生折り合い付けて、そこそこ楽しく生きていければいいじゃん。もっと楽しいことしようよ!」
「楽しいことなど何もなくとも、ここにこうしてあるだけで楽しいものだよ。そんなに楽しいことに追い立てられなくても大丈夫よ」

 

……いやこんなこと言う奴本当にいたらイラッてするから言わんけども。

実際のところ、人生折り合い派はまっとうなことを言ってると思うし。そうやって皆が折り合いをつけながら幸福を求めてきたから世界が発展しているのは事実だと思うし。それに普通に幸せで人生終えられるならそれはとても良い生き方だと思う。

 

まあ、ちょっと違う視点でものを見てみるというのも面白いことだと思うので、仏教的な見方をしてみるのも興味深いかもしれないというお話です。

 

以下余談
人生折り合い派の前提を否定しているという話をしたが、幸せゲージが溜まっていたら幸福という前提の他に、もう1つ否定しているように思った。

 

人生折り合い派はどうも幸せゲージをある程度自分で操作できるように信じているようだけど(私が勝手にそう想定しているだけだけど)、そもそも幸せなんて自分でどうこうできるものではないように思う。

 

何を幸福と感じるかも周りの環境次第だし、その幸福が得られるかどうかも縁起の中の物事だろう。

普通の生活を送っていたら急に隣国から戦争を仕掛けられることもあれば、普通に話していた隣人とある日いきなり殺し合いになることもある。

親から殺され、または殺し、見知らぬ誰かに殺され、または殺すこともある。因と縁によってはそういう世界に生まれたり、巻き込まれることもある。

 

そんな渦中の人に「人生折り合いをつけて…」などと言う人はわずかな人だけだろうが、こういうことがありうる以上、幸せを自分で操作可能と思いすぎるのはいささか気が引けると個人的に思っている。

Zenithにハマり中

store.steampowered.com

 

ここ最近Zenithにハマっている。

VR専用のMMORPGでSAOに影響を受けているという。

 

 

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結構遠くまで見渡せる

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森の風景

ツイッターで期待のVRMMOの新作がでるぞ!と話題になっていたので、どんなものかやってみたらなかなかMMOとして楽しい作品になっていた。

 

現在レベル38でレベルキャップが40なのでぼちぼち終盤に来ているっぽい。

本作は今の所英語にしか対応していないので、説明もストーリーも何となくで進めている。詰まったら日本人コミュニティのディスコードなどがあるため、そういうところに参加したりYoutubeにも説明動画を出してくれている人がいるため、そういうので補完している。

 

MMOならではの役割分担ができており、野良でやってても他の人に助けてもらったりしながら進むのが面白い。

本作の職業は現時点で二刀流で近接戦闘をするBlade Masterとエネルギー弾や魔法で遠距離攻撃ができるEssence Mageの2種類。職業はキャラクターで固有のため同じキャラで職業の変更はできない。

それぞれの職業内で3つのロールを自由に変更できる。ヘイトを上げやすいタンク、攻撃役のDPS、他人を回復するスキルが多いサポート。それぞれの役割に応じて高難易度の敵を倒せたときがとても面白い。

 

自分の場合はBlade Masterのタンクを主にやっている。他のロールはレベルが上がっていないので比較はできないけど、特に問題なくやれている。というかまともなPTプレイまだやったこと無いんだよな。野良で何となく敵をひきつけて攻撃してるけど、役に立っているのか分かっていない状態。きちんとしたPT攻略もやってみたい。

 

なお、PT組まないと進めないかというとそうでもない。

私の場合もほぼソロプレイでできている。ただし、途中で強い敵を倒さないと行けないところもあり、そういうときはしばらく待って、人が攻撃し始めた時に便乗して倒すこともあった。今はゲームが出たばかりで野良でも人が多くいるので、ソロでも行けるが、今後過疎るようなことになればまた違うかも。

 

それから、他人との交流方法はVC一択なので、苦手な人は苦手と思う。私も話すのは苦手な方なのでつい無言でジェスチャーとかでコミュニケーションとったりすることが多い。

特に英語に関してはリスニングもスピーキングもからきしなのでね…。一緒に戦ったらThank you!くらいは言うけど、それ以外は何もできない。

 

先日は日本人コミュニティのディスコードを運営しているVRMMOJapanさんの主催でラスボスを体験する会に行ってきた。本当はレベル40のエンドコンテンツなのだが、体験会ということでレベル26だったが賑やかしで付いていかせてもらった。

 

こちらは体験会気分だったが、現地で結構人が集まり、1回目は失敗したものの、「コレは行ける!」となってその場にいた人を集めて作戦会議を行い、2回目で無事討伐成功したのが熱かった。

私はもうレベルが低すぎて攻撃も防御も意味無いので、介護してもらいながら蘇生要員として動いていた(蘇生した数より倒された数のほうが多かったが…)。

 

当日の参加者の方が撮ってた会議の様子。

この人数でVCしながらPTプレイってちゃんとできたら楽しそう。

 

今後はとりあえずレベル40を目指してレベリング予定。

その後はメイジも触ってみようかな。

 

ネイルチップを作った話

ネイルチップを作ってみた。

きっかけはネットのまとめかなんかで「ネイルをすると爪を見るたびにテンションが上がる」といったことを聞いて興味が湧いたからだった。

 

ほ~ん、テンションが上がるってどんなもんなんかな~と思ったので、手始めに近くの薬局に行って気になった色のマニキュアを買って塗って過ごしてみた。

 

随分と不格好にしか塗れなかったが、なるほど。確かに爪が自分のお気に入りの色で塗られていると、爪を見るたびに何だかいい気分になる気がする。これはいいものだ。

ただ、結構難しいし面倒くさすぎる。

 

単色で塗るだけなら何度かやっているうちに多少は見られるようになったが、それでもまだかなりムラができてしまう。

また2色以上でグラデーションを作ろうとしても全く上手くいかず、綺麗に塗るなら習熟と道具がいるだろうことが分かった。

それにマニキュアだと乾くまでに時間がかかり、乾くまでは下手にものに触ることも出来ないのでかなり面倒くさい。加えて落とす時もきちんと落としきるには丁寧に拭かないと落ち切らないので、それも煩わしい。

マニキュア付けたままで許される職場でもないので、1,2日だけ塗ってこの煩わしさではやっていられない。

 

というわけで、上のような弱点を補完するためネイルチップを探すことにした。

 

当初はネットショップで買おうかと思っていたのだが、どうにも気に入ったデザインがない。

夜明けの光景や空気感が好きで、あの綺麗な空のグラデーションや静謐な空気感をネイルに落とし込んだようなデザインが欲しいと思っていたのだが、それにピタッと合致するようなものがない。

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こんな感じのがいい

こうなったら仕方ない。オーダーメイドでネイルチップを作ってもらうしかねえ!と、リアルのネイルサロンを探してみたのだが、探し方が悪いのかなかなか行ける店が少なかった。

ネイルサロンって個人宅に機材を入れてサロンにしているような店が結構あり、そういったところはもちろん男性NG。

多分店舗を借りていると思われる店でも男性はNGで断られることもあった。また、男性OKでも爪に合うチップがないということで断られるところもあり、店探しは結構難航した。

 

四苦八苦しつつようやく男性OKでオーダーチップ作れるところが見つかり、先日ついにオーダーチップが完成した。約1万円と値は張ったがかなり満足できる仕上がりになっていて、やはり自分で塗るよりも全然いい。

 

簡便さも上出来だ。付けるときはシールを張ってつけるだけで、外す時は少々時間がかかるが、シールをはがせば綺麗に取れる。

 

直接ネイルするのと比べると付け爪ゆえの違和感はあるが、慣れればそこまででもない。

 

短時間だけサクッと楽しみたいときにとても有用なネイルになった。そこそこ高いので連続で頼むのは難しいが、また何点か依頼をしてみたい。

OMORI 感想

「死ねばいいのに」

 

巷で話題になっていたOMORIをやってみた。元は英語のみのゲームだったが、昨年12月に待望の日本語化され、ネット上でもプレイ動画を見ることが多くなっていた。

 

可愛い絵柄に反してホラー要素があり、冒頭の注意文には「このゲームにはうつ病・不安神経症・自殺の描写、及び、映像が激しく点滅する演出が含まれます。」の表示が出てくるというギャップに惹かれ、怖いもの見たさ8割でプレイしてみた。

 

冒頭、真っ白な部屋に主人公:オモリがいる場面から物語は始まる。

ナレーションによればここはホワイトスペース。まんまなネーミングだ。部屋には黒猫、ティッシュ、スケッチブック、ノートパソコン、電球だけ。

特に目を引くのがスケッチブックで、精神病患者が書いたようなインパクトのある絵が書かれている。雰囲気からして不思議な部屋で、恐らく精神世界か何かだと思われる空間だ。

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なんかよく分からない絵が描かれているスケッチブック

 

探索をしていくと、部屋の中にナイフが落ちているのを発見する。いきなり世界観に似つかわしくない物騒なものが出てきたと思ったら、OMORIはそれを拾っている。どうもオモリの武器はナイフらしい。

 

ホワイトスペースから出るとメルヘンチックな世界で友人たちとで出会う。

天真爛漫なオーブリー、元気なケル、お兄さん気質のヒロ、写真が得意なバジル、オモリの姉のマリ。

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当初はほのぼのとした雰囲気の中、みんなで無邪気に遊んでいたが、そのうち何かに気づいた様子のバジルが消えてしまう。

 

バジルが気づいたこととは何なのか。なぜバジルが消えてしまったのか。この世界は何なのか。様々な疑問を抱えながらバジルを探して冒険が始まるというのがあらすじ。

 

ストーリーの面白さ

可愛い絵柄でメルヘンな世界の中に忍び寄る不穏な展開の数々が謎解きみたいな面白さだった。

後にメルヘン世界だけじゃなく、現実世界でも行動することになる。両方の世界を通してオモリたちに何が起こったのか明らかになっていくのが心に残った。

 

オモリたちに起こった全てが判明した時は吐き気を覚えると共になんとも言えない気分になった。

特に印象に残ったのが冒頭で出した「死ねばいいのに」という言葉。
この言葉が出てくる背景を思うと、どうにもざわついた心持ちになってしまう。

 

黒さが面白いテキスト

台詞回しや紹介文とかに黒さが漂っているのが個人的に面白かった。スイートハートのグッズを「うざい人のグッズ」と表現したり、敵キャラ図鑑も「ブサイクな植物野郎」とか「汚れた洗濯物のにおいがする」とかなかなかに酷い紹介文になっている。

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音楽がいい

フィールドBGMはその場所のイメージにあっているし、ボス戦BGMもゆったりしたものから激しく熱いものまでどれもいい。

その中でもラストバトルのBGMは演出も相まって非常に印象的だった。切ないBGMの中からオモリの心情が出てくるような不快な音が出てくるあのBGMは戦闘しながらめちゃめちゃ聞いていた。

 

戦闘楽しい

本作の戦闘は感情がタイプ相性みたいになっており、敵味方の感情を操作しながら有利不利を作っていく。相手の感情を操作しながら戦術を練っていくのが楽しかった。

敵によってはこちらの感情を操作したり、ボスの感情を更に強化したりもしてくるので、そこをカバーする方法を考えるのも楽しい。

 

話題になるだけあって、心をかき乱すようなストーリー展開が非常に魅力だった。また通常ルートしかやっていないので引きこもりルートをやってみたい。

接心体験記

1/3~1/5にTiktokで活躍する仏教徒ちゃんこと堀部遊民さんが主宰する接心が開催された。


遊民さんの坐禅会には過去2回参加しており、いずれも2,3時間程度の座禅だった。今回はまとまった期間の本格的な坐禅会ということなので、いっちょ参加してみるかと興味10割くらいで参加してみた。

接心とは

まとまった期間座禅修行に打ち込むことを接心と呼ぶ。流れとしては1炷(40分程度)座禅を行い、10分経行(きんひん 歩く瞑想)し、10分休憩するを1サイクルとして行った。

また12時と18時にはオートミールのお粥が振る舞われ、1時間の休憩があった。私の場合は仕事の関係で4日の夕方までの参加で計14炷行ったことになる。

今回は遊民さん以外にも、仏教のアレというWebサイトとYoutubeチャンネルを運営されている道宣さんと遊心さんも共同主催として参加されていた。

buddhismare.net

www.youtube.com

どちらもサラッと見ても面白いコンテツでおすすめ。

今回の接心は計3日間だったが、自分は仕事の関係で1/4の18時で終了した。

1日目

初日は17時から始まり21時まで4炷分行う。

最初の2サイクルくらいは結構余裕があった。座禅を始めると主にこれまで読んだ仏教本の内容が頭の中でぐるぐるすることが多かった。

3サイクル目から多少痛みが出始めて、こっくりこっくりすることが多くなってくる。ただ座っているだけだとどうしても眠くなってくるのよ。たびたび船を漕ぎながら4サイクルやって初日は終了。

最後は脚が結構痛くなっていた。私は半跏趺坐と言って、片方の腿にもう片方の脚を乗せる座り方をしているのだが、きっちり座ると膝をがっと曲げたまま固定するので、膝を中心に痛みが出てくる。今回の接心では椅子に座って座禅してもよかったのだが、なんか意地で半跏趺坐のままやっていた。

座禅終了後はとっていたホテルへ泊まる。本当はホテルへ直行してさっさと寝るのがいいのだろうが、腹が減ったので近くの馬肉屋へ行って食事をとった。馬肉専門店って1回行ってみたかったのよ。都会の中にあるお寺の利点を感じた瞬間だった。誘惑が多いともいう。

2日目

2日目は朝7時から始まった。特に話があるでもなくスッと初日の続きから始まり、少し困惑していたがこういうものなんだなーと思って、そのまま座禅を行う。

1日目と同じく2サイクル目くらいまでは余裕がある。ホテルでしっかり寝たので、1日目よりすっきりした意識で行うことができたように思う。

12時まで5サイクル行い、既に足が痛くなってきていた。オートミールおかゆをいただき、昼休憩に入る。
少し外を散歩して足の痛みを紛らわしていたんだけど、次の座禅が始まると全然痛い。
そして午後の座禅が始まってからがかなり大変だった。

午後の座禅から坐禅中の感覚が1日目と比べてかなり異なってきていた。1日目は初めは本の内容リピート、少し経つとこっくりこっくりだったけど、この辺りから居眠りというより白昼夢が現れては消えていくような感覚になってきていた。

恐らく脳がレム睡眠しているのだろうが、ふと視界が真っ白になって白昼夢を見て、そのうちふっと目の前の壁に意識が戻るような感じ。
白昼夢の内容は意識が戻ったときにはもう忘れてしまっているのがほとんどだが、なんか人が踊っているような絵面がイメージに残っている。

正直、意識が戻っても脚の痛みがつらいし時間が進まないしで、そのうち早く白昼夢に戻りてーと考えていた。座禅の意義的にはあまりよい心構えではないのかもしれない。

ただ、最後の1炷分はこれで最後だと思っていたからかあまり白昼夢を見ずにいた。その分脚の痛みがずっと続くので、最後のあたりは足の痛みを感じながら「早く終われー」とずっと思っていて、終了までの時間がとても長く感じた。

最後の座禅が終わったあと、本当はそのまますっと帰ることになっていたが、ご厚意で道宣さんと遊心さんと話す時間を設けていただいた。

記憶だよりになるがいくつか琴線に触れたところを記録しておく。後から記憶で書いたものかつ自分の頭で編集したものなので、もしかすると間違い・勘違いとかあったらごめんなさい。



死ねば楽になるという考えに対する仏教的回答

  • Q.仏教は精神的な安らぎを求めて実践を行うものと考えているが、「楽になりたいのなら単純に死ねばいいのでは?」という考えにどう答えるか。


  • A.「死んだらそれで終わり」という考えなら、確かに死ぬのが最善という結論になるかもしれない。仏教の世界観ではあくまで輪廻が前提になっているので、仏教的には「輪廻するから次の人生で頑張ってね」というスタンスになる。
    仏教では自殺自体は別に良いものとも悪いものともされていない。ただ生老病死を始めとした四苦八苦をまた永遠に繰り返すから、今修行できるうちに修行して苦を減らしておきませんかというのが仏教の考え。

  • また修行寺では修行で死ぬなら死ねばいいくらいの温度感で修行する。座禅で脚痛くなっても、「死ぬつもりで来てるんだから足もげようが動かなくなろうが何だっていいだろ! 動くな!」って感じで言われることもある。実際のところ死ぬ気で修行して初めて見えてくる景色もあると感じている。

  • 死んだら解決するような問題は仏教では取り扱わない。死んでも解決しない問題を取り扱うのが仏教と言えるかもしれない。



(私の感じたこと)

「死ねば楽になる」という考えに仏教がどう答えるのか興味があって質問したが、禅寺では死ぬなら死んでしまえというスタンスで修行していると聞いて、なんだか腑に落ちた気がした。 結局「死ねば楽になれる」という言葉の真意は「楽になりたい」という欲望=苦の原因なんだから、死んだら楽になるという考えでがそもそも苦を消すことができないのかなーとか考えた。


仏教における「安らぎ」について

  • 仏教の安らぎって常に安定しない中にあるように感じる。例えばとても安定した人間関係があったとして、それがあるうちは確かに安らぎかもしれないけど、それって結局無常だからいつか崩れるよね。崩れたら安らぎを得られないのなら、それって本当に安らぎって言えるの? みたいな。

  • 安定しないっていうのは仏教理論にも言えて、「これこそが仏教の真髄なんだ!」みたいなカチッとしたコレ!って感覚を持ったとしても、常にどこからか「勝義諦(仏教的な最高の真理 悟り)から言えばそんなの間違いだらけなんだよ!」と勝義諦スラッシュ!でバッサリ切られる。実際、経典を見ても、この経典とあの経典ってよく考えると矛盾してるじゃんということがある。

  • 人が言う「悟り」にも色々あって、一方では「日常のちょっとしたことに気づくだけだよ」という人からもう一方では「この世の全ての真理を得ることだ」という人もいて、何でもありじゃないかというくらい色々ある。むしろ「悟り」が何か分からないからこそ追い求めているところがあるのかもしれない。



(私の感じたこと)

この話を伺った時に『悟らなくたって、いいじゃないか』(プラユキ・ナラテボー 魚川祐司)を思い出していた。本書でも「悟り」という概念は多様なものであり、大乗やテーラワーダ等、各仏教で目指しているものが全く同じではないと書かれていた。

実際に僧侶をされている方でも「悟り」という概念は広さを感じられるもののようで面白いなと感じた。自分でも多少仏教の本を読んだりする中で、初期仏教ですらなんか人によって解釈違うんだけどってところがあって、ましてや日本仏教の各宗派とかテーラワーダの教えとかまで手を出すと、それぞれで言ってることが違くて意味が分からなくなる。



接心としては短いだろう2日間の参加だったが、仏教で気になっていたこともしっかり聞けてとても満足でき、ありがたい体験だった。

しかし、修行道場とかだと1週間風呂も入らずに座禅し続けるところもあるらしく、そんなに座ったらどうなるんだろうと興味半分恐ろしさ半分といったところ。

流石にそのレベルは遠慮したいが、機会があればもう少し長い接心をしてもいいかもしれない。

2022年ブログ初め

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

 

そんなに稼働していないけど抜けるほどではないグループLineにお決まりの文句を入力しようとして、なんか面白くねーなって思うけど、あまり変な挨拶をしてもしょうがないなって思ってそのまま送ってしまう正月をまた過ごしてしまいました。

 

仕事先とかだったら別に上の文句でいいと思うんだけど、もう少しプライベートな場所には多少ひねった挨拶をしたくなる。とはいえ、そんな上手い文句を言えるような才能があるわけではないし、マジで変なことを言おうものならただただ黒歴史になっていくと知っているので、実に普通な文句を入れてしまう。

 

様式美というのは確かにあるとは思うけど、みんなどう思って「明けましておめでとう」って入力しているんだろう。

そういえば、まだ自分が年賀状をもらっていた時には、絵を描ける人はその年ごとに絵を描いて送ってくれていた人もいたな。ああいうのは個性が出ててよかったなーと思い出す。

今ではLineのスタンプがその役割を持っているんだろうか。確かに新年スタンプみたいなのいくつか売ってるから、その人ごとに工夫はできるのかも。

 

そんなことをつらつら思いながらお正月を過ごしておりました。

 

さて、新年の計は元旦にありということなので、今年の目標などを書いておきましょうか。

え、元旦はとうに過ぎている? 私の世界線では元旦といった日が元旦なので問題はないのです。

 

とはいったものの、どうしようかな…。目標って言っても特に浮かんでこないんだよな。今日を生きるではだめでしょうか…。

とか思っていたらなんか浮かんできた。

 

昨年はコロナもあって、少々おとなしすぎた年だったかなーと思う。

叫ぶと言っても、街中でやいやい騒ぐみたいなのではなく、なんかのタイミングで気合を入れるというか、心からの大声を出していくというのは生きるのに張り合いが出るように思うのです。

 

そんなわけで、とりあえず大きい声を出すことを目標でやっていきましょうかね。

2021年振り返り

2021年も無事ブログを書き続けることができましたので、今年の振り返り記事でも書いておこうかしら。

 

・ゲーム

今年に入って、どうもゲームする頻度が落ちてる。かといって他の趣味に邁進しているかというとそういうわけでもなく、仕事から帰ったら適当な動画見て、そのまま寝るようなことが多くなった。あまりいい兆候ではなさそうだが、とりあえず今年やったゲームがこれじゃ。

 

The Last of Us Part Ⅱ

退廃した雰囲気が好みのゲーム。ラストバトルには心動かされた。

 

・Valheim

私の中の箱庭ゲームのジンクス「なんかいつの間にかやってなかった!!」がいつもどおり発揮されたゲーム。いや面白かったんだよ…。ただ、なんか箱庭ゲームってある程度やったらポンってやらなくなっちゃうんだよなー。結構アップデートされてるみたいだからちょっと再開してみる気もあるような気持ち。

 

ウマ娘

珍しくガチャのあるスマホゲームで比較的ハマった本作。課金圧が強すぎて現在は離れているが、ストーリーは熱くて良い。

 

・マインクラフト

この俺がマルチプレイでマイクラやる日が来るなんて!!。気にはなっていたが、確実にやらなくなるだろうと思っていたマインクラフト。思ったより洞窟探索やネザーが怖くてやったりやらなかったりだったが、最終的にファイヤーマウンテンを作って終えられた。

 

・テイルズオブアライズ

10年ぶりのテイルズだヒャッハー!した作品。悲しい男と可愛そうな女がパートナーとなって世界をぶっ壊す。戦闘も爽快感あって楽しい作品。

 

FF14 暁月のフィナーレ

ハイデリン/ゾディアーク編のフィナーレ。大きな物語にきれいに一区切りがついた。装備更新して極とか行きたい気もあるけど、何かできねーんだよな。

 

・読書

そんなに選別できるほど読めていないが、個人的に気になったやつをピックアップ。

・逆ソクラテス  / 伊藤幸太郎

清涼飲料水のような後味の良さ。「僕はそうは、思わない」

 

・ 推し、燃ゆ / 宇佐見 りん

読んだ際の集中力としては、今年1番だった気がするぶっ刺さりの本。あなたは自分の中心が消えても生きていけるか。

 

・密やかな結晶 / 小川洋子

設定に気を取られて、あまり噛み砕けなかった小説。今は読むタイミングではなかったということだろう。

 

・正欲 / 朝井リョウ

マイノリティ作品第一弾。ツイッターで評判をちょくちょく見ていたので読んでみた。結末が不満だったが、多様性では解決し得ない人たちのあがきが好き。

 

・聖なるズー / 濱野ちひろ

正欲で刺激されマイノリティ作品第二弾。動物を人間と同等のパートナーとして接するズーフィリアをフィールドワークで研究した本。フィールドワーク研究でもなかなか無いだろうズーフィリアの研究ということでかなり興味深く、面白い。

 

Vivy -Fluorite Eye's Song-

アニメだけどこちらに書く。近年見たアニメの中でもトップクラスできれいな絵、燃える展開、掛け合いの面白さがとても良かった。

 

タタール人の砂漠

老いを描いた作品と認識している。それもかなりネガティブに。エオルゼア読書倶楽部に入ってなければ会うこともなかったであろう本だった。老いの悲しみをこれでもかと入れ込んだ本で、世界が広がった気持ち。

 

・その他仏教関連本

今年は仏教の解説書とかをよく読んだ。十牛図親鸞道元、龍樹、仏教サイコロジーetc 。理解が深まったところもあれば、よく分からなくなるところもある。学べば学ぶほどよくわからなくなってくるのは仏教の特徴のような気がする。

 

・その他私生活等

・今年の目標

今年の目標を「辛いので一緒にやりませんか?」を言えるようになることって書いてたけど、全然全く意識できてなかったと、これを書きながら思い出していた。まあそんなもんだ。

 

・目の矯正をした

メガネを何個も買ったり、汚れたら拭くのが面倒くさくなり視力回復手術(リレックススマイル)した。おかげで視力0.2、0.1あたりだったのが1.5くらいになった。

だいぶお金は使ったが、かなり楽になってよかった。

 

デビルマン(実写映画版)見た

最凶の日本映画と名高いデビルマンを見た。みんなで突っ込みながら見ると思ったよりおもろいことが分かった。

 

坐禅会に参加するようになった

偶然近場のお寺で坐禅会を開催している人を発見したので、時間が合うときは坐禅会に参加するようになった。きちんとした座禅はやったことがなかったので、良い経験になっているように思う。

 

とりあえずこんなところかな。

 

来年度もちまちまと続けていければいいなー