沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

「人間の土地」 感想

・きっかけ

 バハパでお世話になったウーさんが、いいねした人が一冊の本だったら最初の一行はどうなるかというハッシュタグ企画やっていたので参加してみた。

 

 

 なんだか書き出しが格好良かったので、どんな本かと興味を持った。

 

 調べてみると、かの星の王子様の作者サン=テグジュペリが書いた随筆のようだった。まあ、私星の王子様読んだことないんですがね。


そんなにページ数あるわけでもないようだったので、図書館で借りて読んでみた。


フランス文学の訳書というのもあり、結構難解に思えた。行きつ戻りつしつつ読み進めていったが、なかなか読みこなすのが難しかった。

 

・内容

内容は著者が郵便飛行士だった時の旅先で出会った人たちとの交流や、墜落した同僚の生還についての話などが主となる。


当時、航空機は今とは比べ物にならないほど危険な乗り物だったようで、本書の記録でも同僚が亡くなるエピソードが複数出てくるし、著者自身も砂漠のど真ん中に不時着し生死を彷徨ったエピソードが出てくる。そんな危険な仕事に従事しながら、その経験から著者が人間について考察したことが書かれている。

 

どうも著者は「人間の本然」なるものを知っている人間と、知らない人間がいると考えていたようだ。


「人間であるということはとりもなおさず責任をもつことだ」という責任観念のもと自ら引き受けた職務を遂行することで、人間の本然なるものが得られるようだ


で、この責任観念に根差した人間の本然を得ると、どんな困難にも闘いを挑む強靭な意志が得られると考えられている。

アンデス山中の吹雪の中墜落して5日間さまよっても生還したり、リビアの砂漠に不時着遭難し、一滴の水もなしに3日間歩き続けて生還するという奇跡も、この責任観念が心の中にあったからだという。

 

そして著者は言う。「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、初めて人間は創られる。」と。

 

・感想

とりあえず一読してみると、なんだかニーチェの末人思想や超人の話に近いような気がしたのだが、影響はあったのだろうか。


サン=テグジュペリの言う人間の本然を知らない人間がニーチェのいう末人っぽい感じがした。そして責任観念を持って職務を遂行し、人間の本然を知った人が一種の超人みたいな感じ。


でも実存主義がフランスに輸入されたのは2次大戦後みたいだからやっぱり影響はなさそうか。

 

個人的にはあまり自分の感性には合わなかったかなーと感じた。


もちろん情景描写には美しさを感じた。特に砂漠における星の描写は、つい砂漠に行ってみたくなるほどには気になった。

 

ただ、やはり人間の本然だとか本質だとか責任観念の話を持ち出されると、どうにも古臭さを感じてしまう。まるで中高の教科書にでも乗ってるような話じゃないか。

本書の言に従えば、責任観念のない漫然と生きている人間は人間ではないと言っているようなものではないか?。そんな責任観念など持って生きている人間がどれほどいようか。


私を含めて、そんな大多数の人間にとって資することのない思想は使いにくいように思った。

 

著者が航空技術の発達した現代に生きていたら、どんな思想を持ちうるのかと感じた。