中学の部活の同輩の結婚式に呼ばれたときに、こう言われたことがあった。
「君は変わらないね」
向こうとしてはただの感想だったと思うのだが、なんだかモヤっとしたことを覚えている。
どうにも私は変わらないということに関してコンプレックスみたいなものを感じてしまっているようだった。
変わらないもの
確かに髪型も中学生からほぼ変わってないし、顔もそんなには変わっていないらしい。生活パターンさえ大して変わっていないように思える。多少金に余裕ができたから休みに出かけることは学生時代よりは増えたかもしれないが、基本的な行動パターン自体は学生時代の延長線にしかないような感じ。
学生から社会人になったときも大して違いがないように思っていた。
昔から親から「社会人は学生とは違うぞ。責任感が違う」みたいなことを言われていたが、社会人になったとき、親から言われていたほどでもなかった。せいぜい、中学生から高校生になったときや、高校生から大学生になったときと同じような感覚だった。
「学校へ行くように仕事に行き、学校から帰るように仕事から帰る」
…と思ったけど、これ多分逆だ。
「仕事に行くように学校へ行き、仕事から帰るように学校から帰っていた」というのが自分の感覚としては合っているように思う。ある意味、社会人になるための学校教育のたまものとも言えるかもしれないが、気づいてしまうとなんとも味気ない学生生活だったなと思ってしまう。
行動パターンを変えてみる
では、なぜその変わらなさをコンプレックスと感じているのか。
当然、中学時代からあまり変わっていないことに対して良くないことと考えているからだろう。成長していないように感じるというのが適当か。
実際のところ、10年以上経って変わらないというのはあり得ないけどね。良くも悪くも変わっていくものだし。今回の話は単に変わっているところが人から見えにくいところにあったということだろう。
うーん。どうすればいいかな。何か目に見えやすい形で変化するという手もあるし、変わっていないことが良くないという価値観をアップデートするアプローチもあるか。
行動パターンに変化を加えてみるかなー。