沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

読書感想文 「聖なるズー」 

最近、記事が読書感想文だけになっているが、まあ読書欲が戻っているということでポジディブに捉えていこう。

 

今回は濱野ちひろ著 「聖なるズー

 

「正欲」の感想とかをあさっている時にこの本をを紹介しているものがあった。調べてみると動物性愛者へのフィールドワーク研究の本のようだ。人類学で狩猟採集民族とか放牧民の研究とかは聞いたことはあったが、動物性愛者というあまり知らない世界の話であったので興味を持った。

 

題名の「ズー」とはズーファイル(zoophile 動物性愛者)のことを指す。聖なるズーはズーの人々、とりわけドイツにあるゼータという団体に所属するズーたちと生活をともにし、ズーたちの生活や思いについて研究した本だ。

 

動物性愛とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛の在り方を指す。感情的な愛着を持つという点で単に動物とセックスする獣姦とは区別される。

 

動物の性欲

本書を読んで思い出したことがあった。私の家で飼っていた犬のことだ。オス犬で既に去勢をしていたが、それでもたまに腰を動かして陰茎を勃起させることがあった。

それを初めて見た母親はそれなりにショックを受けたようで、なんだか気持ち悪いと語っていたことがある。

 

本書の中で、パートナーである犬のマスターベーションを介助するエドヴァルドというズーの話がある。彼は人間と同じように犬の性もケアされるべきではないかと言う。

なぜなら犬は人間と対等な存在で、犬にも人間と同じように性の欲求があり、それは大事な生の一面だからだ。

 

この動物の性欲という視点は今まで全く意識したことのない視点だった。

無論、犬の生殖とかの情報は多少知っているが、それはあくまで犬対犬の話で、人間の世界とは一線を画すものとして感じていた。ましてや人間が犬の性欲のケアをするというのは考えたこともなかった。

しかし、言われてみればその通り。犬にも性欲はあるだろうし、人間と対等な存在として扱うのであれば、それをケアするのも重要な役割なのだろう。

彼らにとってはペットが陰茎を勃起させることは当たり前のことであり、気持ち悪いなどとは思わないのだろう。

 

動物との対等性

ズーに特徴的なのが、動物と人間が対等な関係を築こうとするところと感じた。

筆者は多くの場合、犬は家族内の地位が永遠の子供になると述べている。

飼い主は子供に接するように高い声で犬に呼びかけ、抱きしめ、時にはキスをする。

永遠の子供だから、生々しい性の欲望を見せつけられると狼狽するのではなかろうか。


その点で、ズーは対照的だ。

ズーにとって動物は人間と同じパーソンだ。だから相手の要望に気を配り、相手の気持ちをくみ取り、お互いが求め合えばセックスもする。

対等な人間の大人がするようなことをパートナーの動物ともする。

 

とはいえだ。筆者もたびたび違和感を覚えたように、「本当に動物が何を考えているか分かるのか?」という疑問は頭をもたげる。

確かに動物にも性欲があるだろう。ズーは動物と自分が対等に同じく求めあうときにセックスすると言う。しかし、本当にそんなことができるのだろうか。

 

とここまで考えてきて、結局それって人間も同じじゃないかと、はたと考えた。


私は他人のセックスの過程をAV以外で見たことはないが、明確に分かる形でセックスの同意を得ることは多分ないんじゃないか。

例えば「私はこれからセックスとしてこれこれのことを行いますが、諸々の問題を認識し、この行為に同意しますか?」などと聞く人は(多分)いないだろう。ましてやセックスに関する同意書のようなものをやり取りするというは聞いたことがない(マジで俺が無知なだけだったらすまん)。

ほとんどの人は何となく一般常識的な雰囲気とか仕草でセックスするかどうか判断してるんじゃないの。

仮に客観的な許可・不許可を明確にしたところで、結局「(一度同意したけど)本当はしたくなかった」と言える余地があるんだから、やっぱり本当はどう思ってるのかなんて分かるわけがない。


とすれば、ズーの人たちが、「お互いに求めあった(客観的な根拠はないけど)」という主張と、人間同士の「お互いに求めあった(客観的な根拠はないけど)」という主張も大して変わらない気もするなーと考えた。

 

ズーから考えるセクシュアリティ

最初に動物性愛というのを聞いたとき、私は小児性愛などと同じようなものかと思っていた。

しかし本書を読んだことで、少なくとも小児性愛とは真逆で動物と「対等な関係」を築こうとするセクシュアリティなのだと考えるようになった。

ズーという生き方から、自分のペットへのまなざしや、セックスのありかたとかを考えることになり、自分の立っている場所が揺れ動くいい本だった。

なお、動物性愛を精神疾患と捉える人もいるが、何を「病気」とするかは、お偉い学者先生方と時代が考えることなので、病気かどうかはよく分からん。ただ、本書に出てくるような人たちは周りにいたとしてもある程度受け入れられるんじゃないかと思ったりした。

ただし、本作で登場したズーはあくまでゼータという比較的穏健と思われるグループの人がほとんどだ。

ドイツ滞在の最後にゼータから脱退したズーに会っているが、その人からすればゼータは聖人君子過ぎるという話も出ている。

ゼータ以外のズーの実態にも迫れればなお深みが出ると思うので、今後発表があるようなら確認したい。