ただただ、自分の勝手なこだわりを話す記事です。
「何が嫌いかより 何が好きかで 自分を語れよ!!!」とルフィが言ってるコマを見るたび、うるせえー!、嫌いなもん主張して何が悪いんだー!と感じてしまうヌマでございます。
とりあえず訂正として、これルフィのセリフじゃないらしいですね。ここに書く過程で調べてたら、あのコマはコラ画像らしい。ワンピース読んでないから普通に間違えていたよ…。
あと、元ネタの前後の文脈とかもよく分かってないので、全く見当はずれのことを感じている可能性も高いというね。
それはそれとして、私があまり好きでない言葉で「成長した」というのがあります。成長以外にも成熟した、進歩したとかもあまり好きじゃないかな。
例えば、人と話すことが苦手だった人が仕事を通じてある程度話せるようになったり、事務仕事でケアレスミスばかりしていたのが、だんだんミスが少なくなった時に、人から成長したねって言われることがあると思う。
少し抽象的に言えば、向社会的なスキルを身に着けたと感じられたときに成長したねって言われるんだと思う。
それ自体は褒められてるんだし、うれしいんだよ。
ただ、なんかさ、言ってる方は絶対にそんなこと思ってないと思うんだけど、成長という言葉に「人間として正しくなったね」って意味合いが含まれているような気分になるのよ。
人間としての正しさ(≒社会的な正しさ)っていうのがあって、それに向かっていることを成長するって言葉で表現しているような感じ。
そりゃ確かに向社会的な行動をとれるようになるのは、社会の側としてはうれしいことだと思うよ。でもさ、本質的に人間に正解・不正解、良い・悪いがあるわけじゃないじゃん。
雨が降って、川に流れて、海に流れて、雲になって、また雨が降る。こういう自然の移り変わりと同じように人間もその流れの中にあるわけで、それ自体に良い・悪いは無いと私は思ってて。
だから、話すことが苦手だった人がある程度話せるようになったとしても、雨が降って川に流れるようなもので、それに対してなんかプラスでもマイナスでもあまり評価の意味合いを持たせたくないなーと個人的に考えている。
だって、人と話せないのがダメかどうかって、結局今の社会情勢があるからそうなのであって、今後何らかの形で社会制度が変わったら話せない方がいいようになるかもしれないじゃん。
知らんけど。
これは完全に私側の問題というかこだわりというかなので、他の人は全然言ってもらっていいんだけど、自分が後輩へ何かフィードバックするなら、具体的に行動の変化を言おうかと考えている。
話せる時間が増えた、話す内容が増えた、ミスの数が減った、ミスをカバーできるようになったとか。これなら評価的な意味合いを薄めて、単に数値的な変化だけを伝えられるかなー。
上の立場から下の立場へフィードバックするという構造上、評価の意味合いを0にすることはできないだろうけど、できるだけ評価の意味合いの少ない言葉を使いたいなー。