沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

読書感想文「マカン・マラン」

最近は電子書籍で本を買うことも多いのだが、大きな書店とかに行くとふらふらと紙の本を見て回ることもまだまだある。

先日、買い物のついでに本屋を廻っていたところ、平積みにされていた本が目に入った。落ち着いた濃紺の地に美味しそうなスープが描かれた表紙。それが「マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ」だった。

瞬時に「行ってみて~」と思った。

こんな美味そうなスープがある二十三時の夜食カフェである。行きたくない人などいるんかってくらい行ってみてー。

そんなわけでどんな物語なのか気になり、完全に表紙買いで買ってきた。紙の本は、こういう偶然の出会いがあるから面白い。

なお、マカン・マランシリーズは全4巻だが、今回の感想文は1巻を読んだ段階での感想となる。

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マカン・マランはとある商店街の路地裏にある夜だけ営業する夜食カフェ。店主はドラァグクイーンのシャール。様々な悩みを持つ人がこの店に集まり、シャールと出会って変化していくというのが大まかなあらすじ。

 

正直なところ、全4話のうち3話まではNot for meかな~と感じていた。というのも、物語全体がなんだか造り物感が強いように感じてしまったからだ。

1話毎に悩みを抱えた主人公が登場するのだが、その悩みが一般的というか、分かりやすくて共感しやすい悩みなのである。1話では仕事一筋だが、早期退職の憂き目に合うかもしれない女性。2話では親と担当教師に挟まれつつ、気難しい子供とやり取りする教師。3話ではクライアントに振り回されるばかりで望まないような記事を書き続ける下請けライター。それぞれに悩みがあったり、自己嫌悪したり、求めるものがあるものの、いずれも「ああ、そんな人いそう」だと思えてしまう。

悩みや求めるものを設定して、それを得るために苦しませたり行動させたりするのは物語の基本のキではあろうが、それがあまりに分かりやすすぎて、何だか造り物を見せられているような感覚がある。「ほら、こんな悩みを持った人がこんな非日常的なカフェで、個性的な店主と出会って幸せになっていくのって素敵でしょう!?」と眼の前で言われているような感覚。そりゃ確かに良いは良いが、予定調和すぎて白々しさを若干感じてしまった。

この辺は自分が年食って、感性が落ちているというのもあるかもしれんけどね。

 

しかし、最後の4話はぐっと物語の中に入れた。なんでだろう?と考えたものの、明確な理由は結局よく分からなかった。

ただ、シャールがどうにもならない流れの中で、なお何かを残そうと動くのが気に入っている。それから4話の主人公であり、シャールの店で針子をしている妹分のジャダの「この世の理不尽を作っているのは、楽して生きていきたい俺たち自身だ」って言葉も好き。やっぱりシャール自身を深掘りするような話になってたから、造り物感があまりなかったのだろうか。

あと、各話の主人公が最終話で集合してくるのベタだけどやっぱり好きだな。

 

結局のところ、諸々を経て、問題が解決して大団円みたいな物語自体は好きなんだよな。BADENDはノーサンキュー。ただ、分かりやすくて共感しやすい悩みばかりだと、どうにもスンッと冷静になってしまう。全く理解できず、考えるだけで嫌悪感を覚えるような悩みを持った人が出てきたらどうなるんだろうと考える。

ここで、「正欲」の登場人物たちがシャールとあったらどうなるだろうと妄想してみる。私はこういうクロスオーバー的な妄想が大好きなのだ。

水に欲情することを隠し続け、普通の世間から排斥されないように生きてきたあの人達がシャールと出会ったら、少しは楽になったのだろうか? 又は「聖なるズー」で登場したズーフィリアの人たちはどうだろう。動物と性交し、動物の性も含めて愛しているがゆえに世間から理解され難い彼ら彼女らがシャールと出会ったら、どんな言葉をかけるのだろうか?

妄想しようとしたけど、なかなかシャールの像が浮かばない。これを妄想するためにはもう少しシャールのことを知る必要がありそうだ。というわけで残りの3巻分を買って読んでみようと思う。

残りの3巻で感想が変わるのか変わらないのか検証してみたい。