沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

理論武装する心

先日、業者が現場へ上げるはずだった荷物が倉庫にそのままになっていた。現場Aがすぐに使いたいから上げてくれというので、善意のつもりで現場へ上げた。業者が現場へ上げる予定の数は不明だったが、とりあえずものがあれば問題ないだろうと考え、他の現場と過不足あれば業者が来てから確認して調整すればいいと考えていた。

 

その後、現場Bが必要な分も現場Aに上げてたので、後で現場Aから現場Bへ物品を移すことになった。で、現場Aの職員が「自分たちがせっかく棚にセットしたのに!」といって軽くトラブルになった。

現場の職員曰く、そもそも現場に上げる数量を把握していない自分が悪いらしい。なるほど、現場に上げるのなら数量は業者に確認した上で上げたほうがいいのかもしれない。しかし同時にこうも思う。

「いや、そんなん知らんし」

そもそも業者が上げるはずだったのを、わざわざと言ったら恩着せがましいけど、わざわざ時間作って上げてるのに、数量まで正確になんて、業者がやるべき仕事を何でそこまでやってあげないといかんねん。業者に文句言えや。

 

と、まあ相反する考え方を同時にしてしばらくフリーズしてたわけでございます。

 

その後は頭の中で「俺が悪いんか?」と「俺は悪くねぇ!」の声が木霊して、色々理屈をこねくり回していた。

理屈をこねくり回せば、自分が悪いという論理立てもできるし、自分は悪くないという論理立てもできる。

ふと気づく。善悪にかかわらず、私はとにかく理論武装しようとしているな。毛を逆立てるハリネズミの如く、まるで癖のように自動的に。

 

武装した理論の奥を覗けば、自分がしたことを否定された悲しさや、経緯を聞こうともしない相手への怒りが垣間見える。その更に奥にあるのは、自分が攻撃されたくないという恐怖や不安、又は願いだろうか。

 

これは勝手な想像だが、おそらく俺を悪いといった職員も同じなのではないか。自分が攻撃されたくないから、理論で武装して、先に誰かを攻撃する。

ただこの身が傷つかぬようにお互いが理論で攻撃し、防御しあっている。そしてより他人に共感される理論、より論理的な理屈で武装したほうが勝利し、傷つかないで済む。

けれど、理論武装して自分の責任ではないことを他人に説明し、共感させたところで何になるのだろうとも思う。

 

お互いが理論武装しなければならないほどに恐れや不安があることのほうがより重要な問題だろう。理論でタコ殴りにしたり、カウンターしたりする前に、奥にある恐れや不安を取り除くことはできぬものかなーなどと考えた日だった。

 

…いやまあ、こんなこと言ってますけど、自分が責められるのが怖いから俺を悪く言ったとかじゃなく、ただ単純に俺が悪いと思ったからそう言っただけって可能性も全然あるけどね。