「ドカ食い気絶部」という言葉を最近知った。
もともとは5ちゃんねる掲示板にあるスレッドの一つを指すらしい。
その内容は「飲食店でドカ食いし、血糖値を急激に上げることで疲労感や眠気を誘発し、気絶するように眠る」というもの。
健康には悪いだろうが、やりたくなる気持ちは分かる。すぐに寝ないようにはしているが、自分も疲れたときやストレス溜まってるときなんかはドカ食いしてしまう。
そういうときは決まってあるイタリアンの店に行く。外食をするときは基本的にチェーン店を使っており、「行きつけ」みたいな店はないんだけど、唯一の例外がこのイタリアン料理店だ。
とにかくピッツァが絶品で、ピッツァを食いたいと思ったら、この店に来ることにしている。勝手ながら私の中では国を代表するくらい旨いと思ってる。
それから意外なところではサラダがめちゃくちゃ旨い。野菜やドレッシングが旨いのはもちろんなんだけど、ここのは季節の果物とかを加えており、季節ごとに少しずつ味わいに違いがでて複雑で飽きない味になっている。
そんな感じでとにかく旨くて、しかも旨さに対してかなりリーズナブルなので、お気に入りの店だ。
そんな店なので、月に1回程度、「最近疲れた~、ドカ食いして~」ってときに利用している。サラダを大皿1皿食べて、チキンステーキ食って、締めにピッツァをバカみたいに食うと、腹はたいそう苦しいが、幸福が体に満ちる。
健康のことを考えたら、腹が苦しくなるほど飯を平らげるのは良くないだろうし、軽く運動してストレス発散したほうがよっぽど健康にいいってことも分からんじゃない。
でもこの肉と炭水化物と油を腹に詰め込むっていう幸福は、運動で得られるものとはやはり違うのだ。生物としての根源的な欲求が満たされるみたいな感じ。
あと、店主との関係性もなんとなく心地よくて気に入っている。
私は店に認知されると行きにくくなる生物なので、通い始めてしばらくしたとき、「あ、いつもありがとうございます」とか言われて、「ああ…、行きにくくなってしまった」と思ったものである。20席もない狭い店で、店主とたまに従業員が1人入って切り盛りしているので、しばらく通っていると顔を覚えられてしまうのだ。
だが、食事があまりにも旨すぎたので、しばらく居心地の悪さを我慢して通っていたら、それにも慣れてしまった。
1人で予約もせずに行くので、顔は覚えられているが名前は知られていない。こっちも店主の顔は分かるが、名前は当然知らない。なんとなくツイッターで普段交流しないけどフォローしあってる関係みたいだなと思う。これが少し心地いい。慣れてしまえば、「普段ありがとうございます」と言われるのも当然悪い気はしない。
飯の旨さは居心地の悪さを凌駕するし、このくらいの関係性が一番心地いい気もする。
コロナ禍の中で客が全然いなかった時もあったが、なんとか乗り越えられたようで、今では開店すぐにいかないと入れないことも多くなり、痛し痒しといったところだ。
こんなにいい具合の店はなかなかないので末永く続いてくれることを祈るばかりだ。