なんとなく、今現在の私の仏教における空の理解をメモしておく。
個人的には空とは何かと考えるより、空っぽいいくつかの設問を何個も考えるほうがいいような印象を持っている。
1. ここに一本の棒がある。これは長いか短いか。ただし、過去・未来の全世界一切の事物と比較せずに回答せよ。
この時感じる困難さが空である。
2. 星が病に侵された。人々は次々と身が腫れ上がり、傷は爛れ、血が腐った。自我を失い、化け物とかした人々は同胞を襲い、病は広がり続けた。
さて、これは絶望であるか。ただし、過去・未来の全世界一切の事物と比較せずに回答せよ。
この時感じる困難さが空である。
3. 知恵を磨き、争いを絶やした星があった。肉体の不死を得て、あらゆる個体間の相互理解を果たし、全ての葛藤を消し去った。しかし、不死故に増殖し、次世代を育てる意味が消え、悲しみや苦しみを消し去った故に、生きる喜びもなく、生存する理由が無くなった。そして彼らは自らを消すシステムを作った。
さて、これは絶望であるか。ただし、過去・未来の全世界一切の事物と比較せずに回答せよ。
この時感じる困難さが空である。
4. 地球上で最も繁栄している植物は小麦であるが、人間が小麦を繁栄させたのか、はたまた小麦が人間を使って繁栄したのかどちらか。
この時どちらとも言えるということが空である。
5. 自分の体は時々刻々と細胞分裂を続け、一時として同一の状態ではないが、自己の同一性をどのように証明できるか。
この証明の困難さが空である。
今のところ以上のような感じで空を考えている。知らんけど。
いずれにしろ、何かと区別し比較することでしか、長短や、絶望や、関係や、自分を知ることはできないことを空と表現しているのかなーと感じる。
また、空であることを知るだけでは片手落ちで、娑婆で生きていく以上は空であるとだけ言っていられない。空である中から、自分で物語を選び取る必要があるんだろうなと思っている。
空であると知ってそのまま死ぬなら別にいらないかもしれないけど。