リビングにマットが敷いてある。ニトリで買った正方形のマットをいくつもつないで1枚のマットにするやつ。それがグチャグチャになっている。
こんなやつ。
何年か使っているうちにジョイント部分がへたって、うまく繋がらずグチャグチャになってしまい、そこここにフローリングが丸見えになっている。グチャグチャになっているのに直せない。
グチャグチャのマットは椅子を動かすたびに引っかかる。邪魔だな…って思いながら椅子を直して、マットはそのまま。新しいものに換えれば綺麗になるのにと話す天使を、惰性の岩で押しつぶす。どうせ直したってまたグチャグチャになるんだから。
グチャグチャから目をそらすようにiPadでYouTubeを開く。ホームに出てきた動画を見る。Vtuberの切り抜きを見たり、アニメを見たり、音楽を聞いたり。1時間くらいそうしていたらもうマットのことなんて忘れてる。見えているはずが見えないようになっている。
適当に動画を見てると色々な「やらないとな…」が忘れ去られていく。グチャグチャのマットも、かごに積もった洗濯物の山も、油で汚れたキッチンも、とっくに必要なくなった書類で埋もれた机も。
一通り忘れてしまえばもう明日が来る。「やらないと…」を明日に持ち越しながらずっと暮らしている。
いいじゃないか。どうせ困るのは私しかいないんだから。私が許容できる範囲で部屋が汚れるのはなんの問題もないはずだろう。
そう、問題ないはずなのに私はこれを書いている。このグチャグチャのマットのことを書いておきたいと思っている。それはやっぱり心のどこかでマットのことが引っかかっているのだろうと思う。
今日は帰ってから動画を開かず、これを書いてみた。動画を見るというルーティンが崩れたからか、みぞおちのあたりがどーんと沈んでいるような気持ち悪さがある。単に腹が減っている可能性もあるけど、お腹が空いたー!って感じとはやっぱり少し違うように思う。この気持ち悪さは「やらないとな…」が降り積もってできてるように感じた。
今の私の家はそこら中に「やらないとな…」が降り積もってて、動画を見て一息つかないとやってられないんじゃないだろうか。それならこれはお酒を飲んで気持ちを紛らわすのとほとんど違いがないな。
とはいえ、そう考えたからって、じゃあすぐに積もり積もったやらないといけないことを解消できるんかっていうと、そう簡単に体は動いてくれないようで。とりあえず、もう完全に使えないようなマットは今ゴミ箱に捨てたけど、それは結局「マットを何とかしないと」が「ゴミ捨てに行かないと…」に変わっただけなんだから、なんか元の木阿弥って感じ。
やっぱりなんか、「やらないとな…」って面白くないんだよな。もっとなんかこう、自分を駆動させる面白さが欲しいなーなんて思いながら、収集つかなくなってきたので、ここらで閉じよう。そうして私はYouTubeを開くのだった。