沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

仏教徒ちゃんとご飯食べた話

この一連の日記ポストで彼女と別れたことを書いたら、仏教徒ちゃんこと遊民さんが食事に誘ってくれた。

前回の座禅会の時に、彼女ができたことを少々いじられ(祝福され)たことがあり、そのうえで別れたと聞いて少しばかり責任を感じていたらしい。私としては別に気にしていなかったが、ちょうど誰かに話を聞いてもらいたいタイミングだったので、渡りに船でありがたく誘いに乗らせてもらった。

普段あまりこういうことは人に相談しないのだが、リアルの人から第三者的な意見をもらえて、かなりエネルギーをもらえたように思う。人とサシ飲みすることなんて人生で数えるほどしかなかったので、少々緊張していたが、遊民さんが色々と話を掘ってくれて色々話ができた。

自分で思っていた以上に書き留めておきたいことが出てきたので、久しぶりにブログに書き残してみよう。正直自分の恥部をさらしているようで恥ずかしいところもあるが、まあそういうのもたまにはいいだろう。

 

席についてとりあえず乾杯した後、「おめでとう!」と遊民さんは言った。

「おめでとうなんすかw…?」

あまり想定していなかった言葉に思わず苦笑する。

なんでも、彼女と上手くいっても別れてもどっちにしろ「おめでとう」になるらしい。上手くいけばそのままおめでとうだし、上手くいかなくても今みたいに他の人との縁が強くなるからみたいなことらしい?(この辺曖昧だったんで勘違いだったら申し訳ない)

実際、今回のことがなければこういう話をする機会もなかったと思うので、確かに遊民さんとの縁を深める機会を彼女からいただいたという見方もできるかもしれない。

 

そのあと、ツイッターで書いていた内容の話に移った。

この一連のポスト

 

自分で書いてた日記みたいなのをとっかかりにして話をしてくれるのめちゃくちゃ助かった。共通のコンテンツから話ができるからかなり話しやすかった。「さびしい夜にはペンを持て」に影響されて試しに書いてみたものだったが、今後も定期的に書いてみると面白いかもしれない。

 

そんなわけで、ポストの内容について話していた中で印象に残ったのが、君は他人に興味ないんだよって言われると心がざわつくってところを遊民さんが上手く言語化してくれたことだった。

自分としてはこの言葉を言われると、まあ間違ってはないのかなって思ってた

話の中で、子供の頃はどんな感じだったのかと聞かれた。小中高とか女の子に興味はなかったの?

学生時代を思い出す。そういうわけじゃなかった。人並みに興味はあったと思うし、気になる人だっていた。しかしまあ、当時は今の数十倍ひねくれていたから、自分なんかに好かれても迷惑なだけだろうとかなり強烈に信じていた。だからまあ、気になる人がいてもアプローチとか考える前に、何もしないって選択をしてきた。

遊民さんが言う。そういう色々な葛藤とか過去の経過とかがあって、今のこの状態があるってことを言ってもらえればいいんだけど、今の結果だけを見て、「他人に興味ない」って評価を下されるからざわざわするんじゃない?

ああ、そうだなと、スッと合点がいった。今の状態に至るまでの流れを聞くのでもなく、今の結果だけを見て、まるで評価を下されるみたいに「他人に興味ないんだ」と言われるのが嫌だったのか。

そんなことにようやく気付けたのだった。霧がようやく晴れた気分。これに関しては人に興味ないってところは正しいのかもしれないと思ってたから、そのジャッジのプロセスに納得いってないってことが分かってよかった。

 

あと良かったこととして、「人間に擬態するの大変っすね」って言って、共感してもらえたように感じられたこと。

「人間に擬態」ってワードを出すと、今までリアルで出会った人は「どうした? 大丈夫か?」と心配するか、「どしたんすかw? なんか悩みでもあるんすかw?」と単芝生やして半笑いしてくるか、ハア???となるか、その辺だと思ってる。

だから、あんまりリアルでこういう言い回しはしないようにしてる。しかし、今回は婚活で女性と知り合うときに義務みたいな質問するのマジきついってところでお互いに共感できて、盛り上がった流れで、ふと「人間に擬態するの大変」って話をしていた。

遊民さんは「あ!、そうだね!」と返した。

何というか、ほっとした。外国で日本語が通じる人を見つけたようなそんな感じ。「人間に擬態」って言葉が同じ言語として通じ合ったように思えた。

普通に女性と知り合って、普通に何か質問し合って、共通点見つけて、交際して、結婚してって一般人の流れが、どうも無理そう!ってなった同士で同じ言語で話せたような安心感があった。

ああ、俺はこういう風に共感してもらいたかったんだな。心配も笑いも疑問もなく、「だよなー」と言ってほしかったんだなと気づけた。

 

そのほか、別れた人と面白いってことを結局共有できてなかったな~とも感じた。相手の面白いと思うことも最後まで分からなかったし、自分が面白いと思うこともできなかった。なので、遅かれ早かれ別れてはいたんだろうなと思う。相手も自分も面白いと思うものをどうすれば共有できるのかよく分かっていなかった。そういうところで共感しあえるかと思っていたけど、結局コミュ障とコミュ障がぶつかり合って対消滅しただけだったな。

 

遊民さんに言われて、俺はどんなことに幸せを感じるんだろうと改めて考えてみる。例えば、旅行に行った街中でいい感じの路地裏を見つけたとき。池島に行ったときはマジでテンション上がったなー。

参考記事

numamemo.hatenablog.jp

 

例えば、仕事で使うエクセルファイルをいじって、いい感じに新しい関数を使えた時。

 

…人と共有しづれ~

 

そういう楽しみを上手く人と共有できればいいのかもしれないけど、なかなか難しいですね。この辺はまたぼちぼち要調整かな。

 

最後に、遊民さんからブログとかツイッターのことを結構良く言ってもらえて恥ずかしいやら嬉しいやらであった。人に感想言ってもらえるとめちゃくちゃモチベが上がる。結婚的な話も、最初にブログから入ってもらって、興味持ってくれた人と仲を深めてった方がいいんじゃないかとアドバイスをもらった。逆に、リアルで会った後にブログを教えるのはNGだそうだ(実際にやってた)。俺のことを一般の人間だと思ってた人があれを見たら当然引くらしい……。

まあそれはそれとして、友人からもブログから入るルートをおすすめされていたので、もうちょっとブログを定期的に書いていこうかなと思った。今までは書きたいときに書きたいようにと思って最近は更新もしないでいたけど、もうちょっと負荷かけて「育てていく」イメージでやってみようかと思う。

遊民さんの野望としては、座禅のことを定期的に書いてもらえると励みになるってことだったので、やれる範囲で書いていければいいな。

 

そんなこんなでたっぷりと話をして最後に「ご愁傷様」で別れたのだった。