自宅での座禅体験
先日、どういうわけか興が乗って、自宅で座禅をしてみることにした。
妻は仕事でまだしばらくは帰ってこない。必要な家事も大体終わっている。そして今日は仕事も大体順調に進められて気分がよい。普段は家で座禅をやろうなんて思わないが、調子が良いのでやってみることにした。
座禅自体は1ヵ月に1回程度お寺に行って、45分4セット程度している。やり方は大体わかるし、最近は座ること自体はそんなに苦痛にもなっていなかったので、まあ45分くらい余裕でできるでしょうと高を括っていた。
そうして座り始めて数分後「え!やめたい!」と思い始めていた。
お寺で座禅するのとは全く違う感覚。苦しい気持ちがブワッっととめどなく湧き上がる感じ。
ネトフリで何か見たい。スマホで動画見たい。甘いお菓子があったんだった...etc
お寺で座禅している時に感じるのはとにかく眠気と妄想で、何か物理的な娯楽を渇望するって感じはなかったから、ちょっと歩けばすぐに娯楽にありつける状況で座っていると、これほど欲望で苦しいのだと衝撃を受けた。
結局45分は耐えられず、30分くらいでやめて、スマホを触り始めたのだった。
まさに「人は静かに座ってくつろぐこともできない」というのが実感できた体験だった。
座禅の方向性の疑問
この自宅の座禅の時に一つ疑問が生まれた。
座禅の目指す方向性として以下のどちらが良いのか。
- 「欲望をブーストさせる様々なものがある環境下でも静かにずっと座っていられる状態」
- 「自分の欲望をブーストさせる環境を排除して座れるように調整していく形」
言い換えると次の2人の師匠どちらの言うことを聞いてみたいかととも言えるかもしれない。
- 師匠1.「私は眼の前に誘惑があろうが、全く心が乱れずに座ることができる。誘惑がある状態でできてこそ真の座禅だ」
- 師匠2.「すぐ近くにそんなものあったら集中して座禅できないよ。できるだけ心を乱すものを遠ざけて、静かな環境で座禅するのがよいよ」
私としては、たまにスパイスとして欲望環境で座禅するのはいいと思うが(今回みたいに自分の欲望に気づけるから)、基本としては欲望を排除して座禅するのがいいのかな~と漠然と感じたところ。
それに欲望環境で座禅すると「どうだ、こんなにも欲望が多い場所で静かに座禅できたぞ。俺は真の座禅に近づいている!」みたいなしょうもない我慢大会自慢を始めてしまいそうで、それはいやだなとも思う。
そんな疑問を今回の座禅会で、主催者であるお坊さんの遊民さんと遊心さんに話してみたので、それの覚書を書いておく。あくまで全体の話を自分で咀嚼したことを書いているので解釈違いがあったら申し訳ない。
座禅をして欲望に対する耐性みたいなものが育つというのはあるとは思うが、それに頼って雑踏の中で座禅するみたいなのはあまり良くないように思う(過去にそういうお坊さんがいたらしい)。
座禅することで自分が透明になっていくけど、その後に自分を律する計画を立てることで、新たに自分の色を塗っていくことができるように思う。自分にどのような色を塗っていくのがよいのかまで決めることが大切なのではないか。
そんな感じのことを言われて、とりあえず自分は欲望座禅はスパイスとしてちょっと入れてくだけでいいかな~と思ったりした。
ゲーム画面と1人称視点
あと、こっちは当日言わなかったがちょっと残しておきたい。
今回の座禅会の経行中に、何となく「1人称」になったな~みたいな瞬間があった。
いや、人間誰でも1人称視点だというのはわかるのだが、なんというか普段の自分って「巨大画面の1人称ゲームをコントローラー使って動かしている」ように感じてるような気がする。これも別に普段から思ってるわけじゃなくて、経行中に改めて考えたらって感じではあるんだけど。
あれやって、これやって、あれをやってもらったからこれ返して、そしたらこっちに対応して……。
日常って何となくこんな感じで、これって1人称視点の画面を、別の私がコントローラーで動かしているみたいだな~って感じ。自分は画面の中の人で、本体は別にいるみたいな。
それが経行中、画面を見ている視点から1人称視点になって「ああ、この視点って自分だったわ、この腕って自分の腕だったわ」みたいな感覚になった。
文章で書くと何当たり前のこと言ってるの…?ってなるんだが、もうそうとしか言えないからしょうがないわね。
そういえば私は音楽ライブとかを、楽しんでいる自分を俯瞰的に見てしまって、「何やってんだ自分…」となってあまり楽しめないタイプなんだが、この1人称の視点であれば素直に楽しめるのだろうかと思ったりした。
numamemo.hatenablog.jp
しかし、一抹の不安も感じた。この1人称の感覚で、あれやって、これやって、あれをやってもらったからこれ返して、こっちに対応してっていうのが上手くできないように思うんだよな。
未来のことを考えられないというか、コレ!ココ!終わり!って感じ。
未来のことを考えてパッパとタスクを片づけるのは圧倒的にゲーム画面視点の方が優れているように思う。
本当に感覚のことだけしか言えてないから非常にあいまいな記述になってしまうが、こんな感じのことが起こっていた。1人称の感覚はいつの間にか消えていて、いつもの感覚に戻ったんだけど、またあの1人称の世界を見て、できれば1人称とゲーム視点を行き来できるようにしたいと思った。