沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

生成AIとめぐる美術館の楽しみ方

生成AIを使って美術館めぐったら結構楽しめることが分かったので、その記録。

 

今まで美術館というものにあまり興味をそそられない人生だった。

だまし絵みたいな、パッと見てお~面白い~と思うような展覧会があれば見に行くこともあったが、そうではない普通の美術品を見に行くようなことは、記憶の限り祖母に連れられて行ったことがあるくらいじゃないだろうか。

人の絵を見て面白いと感じる感性がなかった。

 

そんな感じだったから、先日行ったフランス旅行のオルセー美術館・ルーブル美術館も、とりあえず有名だから行くくらいのつもりで、楽しめるかどうかはかなり不安だった。

結果としてはめちゃめちゃ楽しめた。

 

単純に自分のレベルでも何らかの機会に見たことがある有名作品が多かったっていうのもあるが、個人的なハイライトが生成AIに作品の解説をさせたことだった。

きっかけはふとした思い付きで、「生成AIに絵画を読み込ませたら、正しく判定できるのか?」と考えたことだった。

そこで、目の前の絵画だけを写真で撮って(キャプションは入れなかった)、生成AIに読み込ませ、一般的な解説をしてとだけ指示してみる。作品はカミーユ・ピサロの「緑のスカーフの女」。

AIは最初、作者と制作年だけを提示してきたが、さらに質問を重ねると、はたしてAIは正確に作品名を言い当ててきた。そのほか、作品の特徴(細かな筆使い・色使い)なども大体正しいだろう情報を話しており、結構使えると思えるレベルだった。もちろん自分自身は色彩の知識がないので、「美術的に正しい」解説かは分からないのだが、それでも「それっぽい」解説がされるだけでも十分面白い。

その後も、「なんか気になるけど面白さが分からん」みたいな作品を撮って解説させるようにすると、「ここが面白い!」とか「こんな背景がある!」などを解説してくれて、それを読んだうえで作品を見てみるとめちゃくちゃ面白いのである。こういう個人的な「なぜ?」をぶつけられる相手がいるというのはとてもいいなと思った。

絵の一般的な解説はキャプションやネット検索でも出てくるんだが、大体はもう美術の知識がある人向けの解説としか思えないようなもので、見ても「ふーん…」としかならないものだ。色々なサイトとか書籍を巡れば、自分でもわかる解説があるのかもしれないが、そんなことを絵の前で延々するわけにもいかない。

対して、絵を見て「なぜ?」を問える生成AIは自分が知りたい内容について、かなりそれっぽい回答をしてくれるから「そうなんだ!」となりやすい。それに解説が正しいかは生成AIが出した解説のキーワードを検索すると割とすぐに真偽も確かめられる。

なお、作品の読み取り精度については、絵だけの読み込みだと5,6回に1回は全く違う作品の話をしだすところがあった。キャプションを入れれば間違いはなくなったので、キャプションも読み込ませるのがおすすめ。

 

生成AIを使った解説で特に面白かったのを2つ抜粋してみたい。

ダヴィンチの絵の遍歴と弟子世代の絵について

レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者聖ヨハネ』

レオナルド・ダ・ヴィンチ『美しきフェロニエール』

ベルナルディーノ・ルイニ『眠る幼子イエス』



ダヴィンチの絵画については、モナリザくらいしか知らなかったのだが、ルーブルにはそれ以外の作品も数点展示されている。

特に洗礼者聖ヨハネの絵は、暗いところから浮かび上がってくるような雰囲気があり、目に留まった。AIに解説させてみると、スフマート技法というのが使われており、輪郭線を極限までぼやかして浮かび上がるような絵になっているとのこと。

そのあと美しきフェロニエールを見たが、先ほどの聖ヨハネとはまた少し雰囲気が異なり、輪郭が結構ぱっきりしている印象を受けた。その点を質問してみると、AIからは聖ヨハネがスフマートを極めた晩年の作品に対して、フェロニエールはその前の過渡期の作品であること、また光と影の明暗の対比を強調したかったからとの話だった。

これが正しいかは分からないが、確かにそれっぽい解説でおもしろ~と感じた。

また、その後の眠る幼子イエスを見たときに、雰囲気がダヴィンチに似ていたので、関係あるのか聞いてみたら、作者のルイニがダヴィンチの弟子にあたるらしく、師匠から弟子へ技術が伝わっているんだな~としみじみとした。

 

パオロとティツィアーノが描いた同じお題の絵

パオロ・ヴェロネーゼ『エマオの晩餐』

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エマオの巡礼者』または『エマオの晩餐』


上記の2枚は、聖書にあるエマオの晩餐と呼ばれるエピソードを題材にした、パオロとティツィアーノの絵画。この2枚は同じ壁に少し離れて飾られており、似たような場面になってんな~と思って聞いてみたら、どうやらパオロとティツィアーノが同じヴェネツィア派という流れの中の後輩と先輩的な関係になり、2人とも同じ場面を題材にして書いたようだった。

聖書の記述的に忠実なのはティツィアーノの素朴な絵の方らしい。対してパオロの絵は発注者の貴族一家を絵の中に登場させ(絵の右側の人々)、色々豪華にして自分たちの信仰の深さを示したとのこと。師弟が同じ題材で雰囲気の異なる作品を作ったのが面白くて行ったり来たりして見比べていた。

 

 

こんな感じで、AIと遊びながら美術館巡りしていると、めちゃめちゃ楽しくて、ルーブルは結局5時間くらいいたけど、1/4も回れなかったように思う。こんなん、1日中いたって全然時間足らんわ。またフランス行くときあったら、また行ってみたい。

 

また、このめぐり方が日本でも通用するのか、愛知県美術館にも最近行ってみた。

結果は上々。やっぱり色々楽しくて半日くらいずっと美術館に入り浸ってた。

美術に興味ない人でも、AIを使って面白く美術館を回れる可能性があると感じられた経験だった。おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

生活状況メモ 2026

ブログを見返していたら、こんな記事を出してた。

numamemo.hatenablog.jp

 

2020年で一人暮らしになってしばらく経った頃の記事だ。

なつかし~と思いながら、結構変わっているところもあったので、最新バージョンを書いてみようと思い立った。

 

・食事

当時の朝食はもっぱらフルグラだったが、現在は白米を食べることが多くなった。

妻が弁当をきちんと作っており、白米を炊いてくれるので、ついでに自分の分も炊いてもらっている。文明の利器を使いこなせる人で良かった。

 

昼はずっとベースブレッドを食べている。大体の人が不味くて食べられないと言っているが、チョコとイチゴ味は慣れれば大丈夫だと思う。

少しだけベースクッキーも食べているが、あれはまあ人間も食べられる鳥の餌だな。

白米あるんだから持ってけばいいのにとも思うが、弁当箱を洗うのがね…。大変だから…。

 

夜は相変わらずまちまちだが、お菓子だけで済ますことはかなり少なくなった。主に妻が夜遅いため、各々好きなものを食っているが、ご飯があればご飯を食べている。おかげで去年から3キロ痩せた。

 

以前は栄養のためにバランサーという栄養補助ドリンク飲んでいたが、最近は全然飲まなくなったため解約してしまった。ちゃんと栄養とれているのだろうか…?

 

・料理

自分が車を使うので、普段の買い出しは主に自分がやる。

朝昼夜と大体決まったものしか食べないので、買うものは大体決まっている。たまに遊び心でリュウジのレシピなんかを入れて、うまい飯を作る。

皿洗いは、相変わらず苦手でおいてしまう。引っ越したため食洗器で洗うことができなくなったが、現在の食器量なら食洗器入れるより、自分でさっさと洗った方が早いと分かったので、そのまま手洗いにしている。

調理器具は食事する前に洗わないといけない呪いにかけられているので、溜まることはないが、食器はどうしても溜まってしまうので、何とかしたいね…。

 

 

・洗濯

2020年に買ったドラム式洗濯機はまだ動いている。10年くらいは動いててほしい。

洗い方の分類は当時のまま。まだ2人生活なので部屋干しで対応できているが、また子供が生まれたりしたら考えるかもしれない。

また、アイロンは引っ越しと同時に消滅した。スチームアイロンはあるので、伸ばしたいときはそれを使う。

 

・掃除

妻に感謝する最大の家事。

 

相変わらず掃除するのを忘れるorサボる。

妻が始めたら一緒に掃除しはじめる感じになっている。

少しでもいいから意識して脳みそに汚れを認識させたいところ。

 

・感想

2人で暮らすようになってもうすぐ1年経つ。

結構衛生観念は同じくらいだと思っていて、掃除に関して破滅的なすれ違いは起きていない(と思う…)。お互い、もし何かやったらアピールして、やってもらえたらありがとうで上手くいっている。気が付いた方がやる方式はそのうち破綻するだろうと思っていたけど、なんだかんだ上手くいっているので、しばらくはこのまま続けてみたい。

また、最近あまり省力化することを考えすぎない方がいいような気がしてきた。

効率化・省力化を突き詰めていくと、ぼさぼさの頭と服で、ベースブレッドだけを食べるような生活になってしまいそうで、それはそれで面白くないな~と。

結局どこかで我々は効率化を諦めないといけないのかもしれないなどと思う今日この頃であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻辣湯には気をつけろ


麻辣湯(マーラータン)なるものが流行っているという。なんでもスープが提供されて、客はスープに入れる具材を好きに選べるスタイルらしい。

たまに店の前を通るたびに気にはなっていたが、並んでいるのが若い女性客ばかりで、男1人では入りにくく縁遠いものと感じていた。

しかし先日妻と出かけた時に、麻辣湯を食べに行こうという話になり、ついに食べる機会が訪れた。

行ってきたのは七味という麻辣湯の専門店。調味料みたいな名前だなと思いながら列に並ぶ。結構な人気店のようで行列ができているが、せっかくここまで来たので列に並ぶ。結局4、50分ほど並んでようやく店に入れた。

並んでいるうちに妻からなんとなく食べ方の概要を聞いておいた。まず具材を選びボウルに入れていく。最後に重量を測り、重量に応じて金額が変動する仕組みのようだ。

店の張り紙にはおすすめは400gと記載されていたが、素人にはいまいち400gの具材のイメージが掴めずピンとこない。

さて、実際に具材を選ぶところまできた。麺の種類が豊富で中華麺からこんにゃく麺、春雨、噂に聞く刀削麺も置いてあった。具材も牛肉、ウインナーなど肉類からカキ、エビ、タコ、アサリなど海鮮系もあるし、ほうれん草、チンゲンサイ?、きのこなど野菜類まで、目移りするほど充実している。どれを選ぼうか考えるのが楽しい。

 

とりあえずおすすめであった400gを意識するが、具体的なイメージがわからないので、とりあえずメインになるだろう麺類を入れることにする。

最近は糖質を気にするお年頃になってきたため、ヘルシーっぽい春雨をまず入れる。ここの春雨は細い春雨が繋がったものと、そのまま一本が太いものと2種類あり、どちらも入れてみる。しかし、ぬるぬると滑って一回に2、3本しか取れない。えらい取りにくいな〜と思いながら3回、4回とすくっていく。

こんにゃく麺もヘルシーだから追加し、刀削麺ももちもちしていて美味しいと口コミあったので、ババっと入れていく。あとトッポギももちもちしていて美味しいらしいので、数本とる。とりあえずメインの麺類が固まったのでいったん重さを測ってみると…。

 

「430g」

 

あれ、まだ麺しか入れておりませんが…?

 

おすすめは400gとあったけど、結構少なめに書かれているのだろうか?と思い、サブ食品を入れるために食材置き場に戻る。

おいしそうなタコや、食感が良さそうな白キクラゲ、肉枠として小籠包を入れてこんなもんかなと思って再度重さを測る。

 

「560g」

 

当初の想定からは大分多くなってしまったが、別に取りすぎた感もないし、こんなものかなと思ってお会計して席を待つ。

ちなみに妻も同じくらいの重量になったみたい。

お会計をしてしばらくすると、ボウルに入れた食材とスープを合わせて調理されたものが出てきた。

 

手前が自分のやつ

なんか、麺多くね…?

 

一瞬具材の多さに違和感を覚えたが、食べてみると味はとても美味しい。自分の好みの味。辛味はありなしを選べるが、ありでも美味しく食べられるくらい。店の奥には胡麻だれとラー油があり、味を調整できるのも嬉しい。

春雨も細いのが連なったものと太い春雨で食感が違ったり、刀削麺やトッポギはもちもちで美味しい。他の具材もスープを吸ってとても美味しかった。妻から揚げパンを半分もらったのだが、スープを吸い込んだパンがとても美味しかった。もう一度行く時は揚げパンを取りたい。

この時はまだ、心に余裕があった。

 

そんな感じで美味い美味いと食べていたのだが、はて、麺がなかなか無くならない。

そんなに多い量を入れたつもりはないのだが、お腹には溜まっていくのになかなか終わらない。スープと合わさって体積をどんどん増やしているかのようだった。最後の麺を食べ終わった時、もはやお腹がパンパン。

妻とは最後に取り放題のご飯を入れて食べたら美味いだろうと話していたのだが、そんな余裕はどこにもなかったのだった。

ちなみに妻は麺をそこまで入れてはいなかったが、分量としては同じくらいだったので同じく苦しんでいたのだった。

この手記を見た者で、これから麻辣湯を食べる者がいれば気をつけてほしい。どれだけ材料を入れられるとしても、特に麺を入れすぎてはいけない。最後はただ自分を苦しめるだけの存在になってしまうのだ。

 

 

始業直後にトイレ行きたい

最近妻のおかげで、割と健康的な朝ごはんを食べており、便通もいい感じなのだが、困りごとが一つ。

始業直後にトイレに行きたくなる。

 

仕事が始まる直前まではそんなに行きたい感じではないのだ。でも仕事が始まって本当に5分くらいすると急激に便意が高まってくる。

でも仕事が始まった直後である。そのタイミングで席を立つのって、仕事をしたくないからこの時間までトイレ行かなかったのか?とか、仕事始まる前に行っとけよみたいに見られそうで不安になる。

始業から1時間くらいは持たそうと何とか頑張る。持たせられるときもあるが、もう我慢できなくなることの方が多い。しかも仕事の都合上、始業から30分経つ頃から業務が多くなってくるのだ。始業後30分でもう無理!ってなると、これから忙しくなるって時にいきなり席を立ってトイレに行く始末になる。

行くなら早いうちに行ってしまった方がいい。

しかし、早く行き過ぎては変に見られかねない。

最近はそんな「早く出せ!VSまだダメ!」の葛藤に悩まされてる。

どうして便意はちょうどいい時に高まってくれないのか。

ちなみにうっかりしていない日には始業前に出しておくこともあるが、小の方がなぜかすぐに再充填されてしまい、1時間後に再度トイレに立つことが多い。始業直後に行くよりはましだが、もう少し持ってほしいな~と思う今日この頃。

 

気が利かない人間ですんません

先日、仕事で会議があった。

自分はその会議の中では一番下っ端になるが、部屋の用意とかは課長の一つ下の人(Aさん)がやっており、自分は部屋に行って必要な報告をするだけ。

この時点で既に気が利かない人間という感じが出ているが、今回の本題はそこではない。

会議が終わったら扉を閉め、鍵を返却する必要がある。そこで自分の上の立場の人(Bさん)が「僕が返してきますよ」と鍵を受け取った。

絶対に信じてもらえないと思うが、俺もそれを言うつもりでいた。本当に。

しかし、Bさんの方が早く言ってしまったため、自分は「あ、じゃあいいか…」となってしまい、そのまま自席まで戻ることにした。

自分たちの部署は1階にあり、鍵を返すには5階の部署に寄る必要がある。先ほどのAさんとBさんが、2人で話しながら階段を降りているのが背中越しに感じられた。会議で出た課題についてあれこれ話している様子だ。

「ちょっと鍵渡しに行ってきますね」

「あ~、じゃあ私も行きます」

そんな2人のやり取りを頭上で聞きながら、自分は1人階段を降りていた。

ふと、気づく。自分が鍵返しに行ってたら、2人とも話しながら直接部署に帰れてよかったな…。

そう思い始めると、(やっべ~、気が利かない部下だと思われてるかも)と急速に心配になってくる。とはいえ、今から階段を少し登って「自分が返しに行きますよ」というのもあまりにも不自然なので、気まずい気持ちをそのままスルーして、自分の席に戻ったのだった。

 

2人の視点からみたら、鍵を返しに行くわけでもなく、一緒に話に入ってくるわけでもなく、結局すたすた階段を降りて行ってしまう部下になるわけで、少なくともプラスの印象が残るものではないだろう。多分どうも思ってもいないだろうが。

 

席に座って、おそらく一緒に鍵を返しに行って少し遅れて座った2人を視界の端に捉えながら、(気が利かない人間ですんません)と心の中で謝っておいた。

 

このことをブログに書くことをGeminiに話したら、「申し訳ないという気持ちだけでなく、次はこうしたいというという前向きな部分も加えてみてもいいかも」と言われた。

それに対する自分の返答は「そんな教訓めいたことを書きたくない」だった。

うん。俺はこれを書いて、「次からはちゃんと自分から声かけをして気配りしようと思います」なんてことを書きたいとはやっぱり思わないな。

どうせ次もその次も同じように出遅れて、同じように気まずくなって、同じように心の中で謝るのだろう。そのうち俺にしてあげられることができたら、その時はしてあげようと思う。

それが1か月後か、1年後か、100年後か、1000年後かは分からないけれど。

欲望の中で座禅することについて疑問

自宅での座禅体験

先日、どういうわけか興が乗って、自宅で座禅をしてみることにした。
妻は仕事でまだしばらくは帰ってこない。必要な家事も大体終わっている。そして今日は仕事も大体順調に進められて気分がよい。普段は家で座禅をやろうなんて思わないが、調子が良いのでやってみることにした。
座禅自体は1ヵ月に1回程度お寺に行って、45分4セット程度している。やり方は大体わかるし、最近は座ること自体はそんなに苦痛にもなっていなかったので、まあ45分くらい余裕でできるでしょうと高を括っていた。

そうして座り始めて数分後「え!やめたい!」と思い始めていた。

お寺で座禅するのとは全く違う感覚。苦しい気持ちがブワッっととめどなく湧き上がる感じ。
ネトフリで何か見たい。スマホで動画見たい。甘いお菓子があったんだった...etc

お寺で座禅している時に感じるのはとにかく眠気と妄想で、何か物理的な娯楽を渇望するって感じはなかったから、ちょっと歩けばすぐに娯楽にありつける状況で座っていると、これほど欲望で苦しいのだと衝撃を受けた。
結局45分は耐えられず、30分くらいでやめて、スマホを触り始めたのだった。
まさに「人は静かに座ってくつろぐこともできない」というのが実感できた体験だった。

 

座禅の方向性の疑問

この自宅の座禅の時に一つ疑問が生まれた。

座禅の目指す方向性として以下のどちらが良いのか。

  • 「欲望をブーストさせる様々なものがある環境下でも静かにずっと座っていられる状態」
  • 「自分の欲望をブーストさせる環境を排除して座れるように調整していく形」

言い換えると次の2人の師匠どちらの言うことを聞いてみたいかととも言えるかもしれない。

  • 師匠1.「私は眼の前に誘惑があろうが、全く心が乱れずに座ることができる。誘惑がある状態でできてこそ真の座禅だ」
  • 師匠2.「すぐ近くにそんなものあったら集中して座禅できないよ。できるだけ心を乱すものを遠ざけて、静かな環境で座禅するのがよいよ」

私としては、たまにスパイスとして欲望環境で座禅するのはいいと思うが(今回みたいに自分の欲望に気づけるから)、基本としては欲望を排除して座禅するのがいいのかな~と漠然と感じたところ。
それに欲望環境で座禅すると「どうだ、こんなにも欲望が多い場所で静かに座禅できたぞ。俺は真の座禅に近づいている!」みたいなしょうもない我慢大会自慢を始めてしまいそうで、それはいやだなとも思う。

そんな疑問を今回の座禅会で、主催者であるお坊さんの遊民さんと遊心さんに話してみたので、それの覚書を書いておく。あくまで全体の話を自分で咀嚼したことを書いているので解釈違いがあったら申し訳ない。
座禅をして欲望に対する耐性みたいなものが育つというのはあるとは思うが、それに頼って雑踏の中で座禅するみたいなのはあまり良くないように思う(過去にそういうお坊さんがいたらしい)。
座禅することで自分が透明になっていくけど、その後に自分を律する計画を立てることで、新たに自分の色を塗っていくことができるように思う。自分にどのような色を塗っていくのがよいのかまで決めることが大切なのではないか。

そんな感じのことを言われて、とりあえず自分は欲望座禅はスパイスとしてちょっと入れてくだけでいいかな~と思ったりした。

 

ゲーム画面と1人称視点

あと、こっちは当日言わなかったがちょっと残しておきたい。

今回の座禅会の経行中に、何となく「1人称」になったな~みたいな瞬間があった。
いや、人間誰でも1人称視点だというのはわかるのだが、なんというか普段の自分って「巨大画面の1人称ゲームをコントローラー使って動かしている」ように感じてるような気がする。これも別に普段から思ってるわけじゃなくて、経行中に改めて考えたらって感じではあるんだけど。

あれやって、これやって、あれをやってもらったからこれ返して、そしたらこっちに対応して……。
日常って何となくこんな感じで、これって1人称視点の画面を、別の私がコントローラーで動かしているみたいだな~って感じ。自分は画面の中の人で、本体は別にいるみたいな。

それが経行中、画面を見ている視点から1人称視点になって「ああ、この視点って自分だったわ、この腕って自分の腕だったわ」みたいな感覚になった。
文章で書くと何当たり前のこと言ってるの…?ってなるんだが、もうそうとしか言えないからしょうがないわね。
そういえば私は音楽ライブとかを、楽しんでいる自分を俯瞰的に見てしまって、「何やってんだ自分…」となってあまり楽しめないタイプなんだが、この1人称の視点であれば素直に楽しめるのだろうかと思ったりした。

 

numamemo.hatenablog.jp

 

しかし、一抹の不安も感じた。この1人称の感覚で、あれやって、これやって、あれをやってもらったからこれ返して、こっちに対応してっていうのが上手くできないように思うんだよな。
未来のことを考えられないというか、コレ!ココ!終わり!って感じ。

未来のことを考えてパッパとタスクを片づけるのは圧倒的にゲーム画面視点の方が優れているように思う。

 

本当に感覚のことだけしか言えてないから非常にあいまいな記述になってしまうが、こんな感じのことが起こっていた。1人称の感覚はいつの間にか消えていて、いつもの感覚に戻ったんだけど、またあの1人称の世界を見て、できれば1人称とゲーム視点を行き来できるようにしたいと思った。