沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

バーに行った話

 

たまに駅を利用するときにとあるバーの横を通る。薄暗い照明の中、ランプの明かりがふつふつと灯っているのを通り過ぎるたびに見ていた。

お酒は得意ではないものの、バーの雰囲気はとても好みだった。しかし、どうにも気恥ずかしい気持ちがあって、ずっと入れずに来ていた。

 

先日、ふと酔いたい衝動に襲われ、どうせだったらバーに行ってみるか!と思い立って外に出た。

 

夕飯を外で食べたあと、意を決して気になっていたバーに向かった。とはいえ、一人でいざ入ろうとするとやはり難易度が高い。

決心がつかないまま、店の周囲を5周くらいぐるぐる周っていた。そのうち食事で高揚していた気分がだんだん落ち着いてきてしまい、「今日はもういっかな…」となってくる。

 

しかしせっかく着替えて外にまで出たのに、このまま帰ってしまうのも癪だ。いい加減足も疲れてきた。

時間をかけて店に入ったときの状況をシミュレーションしつつ、意を決して入口に行け……なかった。

何故か店員が急に外に出てきてキョロキョロして、入口前にいた自分と目があってしまった。私はというと、目があった瞬間ビクッ!としたあと、そそくさと通路の方に進路を変更し、入口を通り過ぎた。

 

無理無理無理、怖い怖い怖い。
え、入ろうとしたらいきなり出てきた店員と鉢合わせるなんて、どんな確率やねん…。予定に無いよ…。
こっちは店に入る瞬間からの店員の位置、目線の変化、他客がいた場合の視線·態度とかシミュレーションしてよしってなってたのに、いきなり向こうから奇襲されるなんて想定していなかった。
 
結局今日入ることは諦め、帰途に着いたのだが、やっぱりなんか癪だなーと気を取り直して、家の近くのバーを検索してそこに行ってみることにする。
 
今思えば、何をこんな必死になっとるのか意味わからんけど、まあそういう日もあるのだろう。

 

そんなこんなで家の近くのバーに行ってきたが、現地には店というか倉庫があるだけで、入口は木戸で中を伺うことも出来ない。端的に言って、最初の店の10倍は入りにくい佇まいである。
本当にここで合ってるのか2回くらい見直したが、掲げられてる店名は合っているし、扉近くで耳を澄ますとかすかにBGMが聞こえてきた。レビューにも入口は入りにくいと書かれたものが多いから、ここで間違いはないのだろう。

 

その後も突撃するか迷いに迷って、警察がいたら確実に職務質問されるであろう挙動不審な動きを続けながらも、意を決して扉を開いた。

 

扉を開けたら、階段があった。
 
ここで脳がもうバグる。え、階段…? 世のバーの入口は全て階段になっているの…???
もうバグった頭のまま階段を登り、次の扉を開けるとBARがあった。
まじでBAR。アニメや漫画で見るようなBARだった。
 

扉の先は2階になっていて、そこから階段を降りて席に向かう。席はカウンターとテーブルがあり、広々とした空間だ。

照明は薄暗く、所々に間接照明が置かれており、それがテーブルの木に反射して上品かつ幻想的な雰囲気を漂わせていた。

外観からは想像もつかないお洒落空間だった。

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写真はイメージです

 

1人なのでとりあえずカウンターに向かう。日曜の夜だからかコロナの影響が強いのか、自分以外に客はおらず貸切状態になっていた。

席につくと席上のランプが灯されて、お洒落度が更に上がっていく。

 

メニュー表を手渡されるが、中を見ても数種類以外はどんな感じの味なのかよくわからないものばかりだった。

一応バーに行くって決めたときに、お酒の種類とかを軽く確認しておいたのだが、実際どれが自分に合うのかよく分からん。

 

バーテンダーに聞いてみると要望言ってもらえたらおまかせで作りますとのことなので、度数低めで柑橘系のカクテルを頼んでみた。

しばらくすると、ジャッジアイズで見たようなグラスと球形の氷にみかんのカクテルが入って出てきた。

これこれ、この感じな!

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こんな感じ

味はまあ、お酒って感じ。飲みやすくはあったけど、最高に美味いとかそんなことはなかった。

 

お酒をちびちび嗜みながら、バーテンさんと少しばかり世間話をする。

なるほど、こういうものに楽しみを見出して、バーに通う人もいるんだろうなと納得していた。

 

会計すると、カクテル2杯とジャーキー1つで3,000円ちょっとだった。お酒を楽しむだけだと少々高いなといったところ。

今回は雰囲気を楽しめたし、バーというものがどういうものか分かったので満足した。

 

たまにはこういった今まで入れなかった店に入って、雰囲気を楽しむのも悪くない。

座禅会参加してきたレポ

仏教徒ちゃんさんが主宰するこちらの座禅会へ参加してきた。

 

 

当日の内容や考えたことを書いてみたい。

メモを取ったわけでもなく記憶だよりで書いてるので、多少記憶違いがあるかも。

 

参加のきっかけはツイッターリツイートを見たことだった。

仏教に興味があるのはこのブログでも書いたとおりだが、ツイッターでも数人仏教関係の方をフォローしている。その中で仏教のアレさんという方がリツイートしていたのだ。

比較的近場だし、これまで本を読んできただけできちんとした座禅をしたことがなかったので、この際ちゃんとやってみたいと思ったので思い切って参加してみた。

 

当日は車を飛ばして名古屋市は新栄の曹流寺へ向かった。

地図で見てる分にはあまり意識していなかったが、行ってみたら名古屋の大都会のど真ん中にふっと現れる小さなお寺で、第一印象は「地価高そうな場所だなー」だった。

聞いてみると30何代も続いているかなり歴史のあるお寺さんだった。

 

仏教徒ちゃんはこのお寺の住職さんであるが、住職という肩書で想像していたよりは随分お若い方で、とても気さくな和尚さんであった。自分よりちょっと上くらいの年齢じゃなかろうか。

ネットでのメインの活動場所はTikTokみたいだが、動画で見るよりも親しみやすい方だった。

 

今回は午前・午後の部があり、私は午後に用事があったので、午前の部のみに参加した。午前の部は初心者向けの内容で、座禅をやる意義とか座禅のやり方などの話と20分×2回の座禅があり、計3時間の内容だった。

午後の部では40分の座禅を何回かやって6時まで座禅を行うという内容になるようだ。

 

参加者は私を入れて7人、半数は女性もいて思ったよりも多い印象だった。なかには富山から来て参加されている人もいて、初めに聞いたときは耳を疑ったな。

 

座禅会を開いた趣旨として、仏教徒ちゃん曰く、自分があまり座禅修行というものに意味を見いだせずに僧侶やってきてたけど、最近仏教のアレさんと交流していてきちんと座禅修行をやってみたくなってやっているという。

一人だとあまりやる気にならないので、複数人でやれたらいいなーと思って今年の夏頃から座禅会をしてきたらしい。

 

結構意外だったのが、座禅メインと思っていた曹洞宗でも、修行道場出たらちゃんと座禅をやっている人はあんまりいないんじゃないかなーと言っていたところ。

まあ、言われてみれば日本の僧侶が現代でやることは先祖供養とか葬式がメインなんだから、それで飯食っていられるのであれば、わざわざ何もしないための座禅なんてやるインセンティブがないわなーと納得した。

仏教徒ちゃんも以前は、座禅やる時間があるならTinderで女性と仲良くしたいと思っていたという話が印象的だった。

 

座禅に移る前にやり方の説明があってありがたかった。床にそのまま座るものとばかり思っていたが、座蒲(ザフ)というクッションを下に敷いて、両膝とお尻の3店で安定させるように座る。これだとお尻も痛くないので結構長く座っていられる。

この座っていられる自分なりの良い体勢を見つけるのが大事らしく、これに数年かかることもあるとか。

 

説明もそこそこに、1回目の座禅を行った。座禅のやり方にもいろいろあるみたいだが、今回は各々壁に向かって、目を開けて行うやり方だった。

 

座禅を初めてすぐ、「そういえば、あの本にはこんなこと書いてあったなー」とか「あの本に書いてあった瞑想の意義って何だったっけ」とかふつふつと泡が浮かぶように出てきていた。
面白いのは「同じことを何回も繰り返している」ことだ。

 

ある思考が浮かんできて、「ああ、あのこと思ってたな」とハッとする。次に違う思考が浮かんできてまたハッとして戻る。この思考のバリエーションがあまりないのだ。

大抵3つか4つくらいのことをランダムにぐるぐるぐるぐる考えていて、次に行かない。頭の中で悩みを考えているとぐるぐる回るだけで解決に行かないと聞いていたが、まさにその状態だった。

 

そのうち眠気が出てくると白昼夢を見るようになる。

半分寝ていて軽く夢を見ているような状態だ。細かなところまでは覚えていないが、なんかSFチックな光景が浮かんだり、変な光景が浮かんでいたような気がする。

こちらもそれぞれの夢の初めだけをぐるぐる見るような感じで、小説であれば数種類の小説の第1章冒頭のみをぐるぐる見させられている気分だった。2章以降に行かないねん。

 

20分が終わると一旦休憩をはさんで2回目の座禅を行う。

2回目は何となく眠気が少なくなった気がする。1回目で半分寝ていて多少眠気が飛んだのかもしれない。
最初の5分程度は結構上手く座禅できていたように思う。壁をただ見ていてそれほど思考があっちこっち飛んで行ったりしなかったと思う。他の参加者の方も、1回目より2回目の方が集中できたという声が多かった。

 

しかし、そのうちまた思考や眠気が出てきて白昼夢の中をふらふらしていながら2回目の座禅も終わった。

 

思考せずにただいるという状態になるのはやはり難しい。

瞑想をこれまでずっとやってきていた経験者の人でも、座禅中に元カレへの不満とかが噴出してくるという話が出ていた。

ただ、別に思考しない方が偉いというわけでもない。

むしろ無思考の状態になれないことをダメなこととか考えて、自分を責めるような態度は座禅に最も持ち込んではいけないものだ。思考が出てきたらただ見て、見たらふっと戻ればいいということを仏教徒ちゃんも言っていた。

 

最後に座禅をする意義についての話があった。正直あまり理解できているとは思っていないが、自分なりの解釈を書いてみる。

 

どうしてこんな何もしないで座るだけ(無為)の修行があるのか。資格勉強とかTinderで恋人探すとかもっと意味のあること(有為)をした方がいいんじゃないか。

この問いに対して、仏教徒ちゃんは「実存の転換」を実感するためという説明をしていた。

 

この世は一切皆苦。生きている限りもっともっとと求め続け、不満足の苦しみを抱え続けることになる。

この不満足の苦しみから離れて、ただここにあるだけで満足という状態を作り出すのが禅の悟りと言われるもので、これを実存の転換と呼んでいた。

この「ただここにあるだけで満足」の状態に至るための修行が座禅なんだと。

多分こんな感じのことを言っていたように思う。解釈違いがあれば申し訳ない。

 

そのうえで、一つ疑問に思ったことがあった。

インドにおいては輪廻思想が定着していたから、この求めて求めて止まない苦しみが永遠に繰り返されるという状態が忌避されたわけだが、現代日本はそうではないと思う。多分多くの人が死んだらそこで終わりという思想を持っているのではないか。

人生が今回の一度きりで終わるなら、たとえ不満足があったとしても、好きなことをして、お金持ちになって、好きな人とセックスして、みんなから尊敬されるような幸福を味わうことは別に苦しみ三昧とも思えないだろう。

 

人生山あり谷あり。人生の最後に幸不幸の収支がプラスになっていればいいやと、そんな風に生きている人が大多数ではないか?

 

そういう人に「座禅すれば、ただここにあるだけで満足だよ」と言ったところで、「いやそんなことより年収増やすために資格勉強したほうがいいよ」とか言われそうな気がする。

そうだとしたら、そんな人たちに禅は何を語れるのだろうか?

 

次回開催されたらまた参加したいと思うから、その時はこの疑問を伝えてみようかな。

うちの図書館への雑感ー書店や岐阜メディアコスモスと比較してー

 

FF14内の読書会に参加するようになって、図書館に通うことが多くなった。

今まではあまり意識していなかったが、通うようになってみると、なーんか居心地があまりよろしくない気がする。

コロナの影響もあるんだろうけど、雰囲気が何か暗いような…。図書館ってこういうもんだろって言われるとそうかもなーという気もしてくるが、もう少し面白い場所に出来ないだろうかとつらつら考えていた。

 

先日「名古屋みなと蔦屋書店」に行ったときに、楽しい本屋だなーと感じたことを思い出す。

store.tsite.jp

 

機能の異なる公立図書館と民間の書店を単純に比較することはナンセンスな気もするが、自分が欲しいなと思う機能は名古屋みなと蔦屋書店にあるように思う。

 

こちらは愛知県名古屋市港区にある書店で、本以外にも生活雑貨の販売や展示がされていたり、書店の中にカフェが併設されていたり、作家とのコラボイベントを行うなど単純な本屋というよりは本を入口に色々な体験を売るような店になっていた。

 

ふらりと入って、展示されている本を物色し、併設のカフェに座ってゆっくりと本を読む。

人の行きかう音や店員の話し声、活気をそのままBGMにして本を読むのがとても捗った。

 

とはいえこれは書店の話。

図書館としてはこういう機能は難しいのかなーと思っていたところ、フォロワーのうーさんから滞在型と言われる図書館もあると教えてもらった。

 

滞在型図書館は単なる書籍の貸し出しだけでなく、市民が憩いの場として使用し、時間を気にすることなく、のんびりと過ごすことのできる空間を提供するような方向性の図書館と言える。

カフェやセミナールームが併設されていたり、電源やWiFiが整備されていたり、市民交流の場が配置されているのが特徴だ。

不勉強でそういう取り組みがあること自体を知らなかったので、少し調べてみると割と近場に滞在型図書館があるようだった。

 

それが「みんなの森 ぎふメディアコスモス 」

岐阜市立中央図書館や市民活動交流センター、市民ホールとかを集めた施設だ。

敷地内にスタバが併設されており、物づくりのスタジオやダンススタジオみたいなスペースもあるなどかなり大きな施設だった。

 

図書館スペースは2階が入口になっている。

入ってみて気づくのは図書館全体が明るく遠くまで見渡せることだ。

写真撮っていいのか分からなかったので、撮ってこなかったことが悔やまれる。内部の写真はこちらが分かりやすい。

life-designs.jp

 

まず本棚の大きさがそんなに高くない。

2階の本棚は全て大体自分の目線くらいまでの高さで160センチ弱くらいだろうか。

本棚の配置もグローブと呼ばれる円形空間から放射線状に並んでいる。

本棚の高さ、配置、空間の広さが相まって、圧迫感が全くなく開放的だ。

 

また座席数が非常に多い。

座るために空間が各所にあり、ゆったりしたソファ型の広い座席や、複数人で座れる椅子、個人で使う用の椅子など用途別に様々な座席が用意されている。

奥まった場所には一人で座って静かに読める空間。中心に近いところには複数人で座っても問題ない空間といった感じで役割分担がされているようだ。

テラス席もあり、晴れた日には特に気持ちよく読書できそうでうらやましい。

 

複数人で話をしている人もいたのも印象に残った。

何人かで来てソファに座って、本を片手に話をしている光景が随所に見られた。

学校の図書館等ではどうしてもひそひそ話になってしまうし、話すこと自体はあまり歓迎されないが、この空間では普通のトーンで話す分にはあまり問題にならないように感じる。

私なんかは多少がやがやして活気があったほうが好きなタイプだから、人が普通に話をしていられる空間になっていることは喜ばしい。もちろん一人で静かに勉強するためのスペースもあり、静かな空間が良ければそちらを利用することもできる。

 

1階にはカフェやコンビニが入っており、通路でカップ焼きそばを食べている人を見た時は結構な香りが漂っていてさすがにビビった。

おなかが空いたら軽食を取るのによさそうだ。

 

こんな感じで、私のあったらいいなをそのまま突っ込んだような図書館の作りになっており、比較対象としてとても参考になった。

ここの空間の特徴を一言で言うなら、「みんなが集まる広場に図書館機能を入れた」ようなイメージだろうか。

いや、普通にいい図書館だよ。今はコロナでイベントとかはあまりやってないみたいだけど、図書館行くついでにイベントに参加したりとか面白そう。

 

翻って、うちの市立図書館を見てみる。

 

とりあえず感じたのは本棚の高さ。

自分の頭の高さはゆうに超えており、180センチ程度はあるだろうか。向こうを見渡すことは全くできない。

 

本棚の配置も昔ながらというか、普通にずらっと長方形の空間に並んでいる状態だ。検索性はこちらの方が高いように思うが、解放感とはまあ無縁の配置だ。

 

また座席、特に複数人でゆったり座るようなスペースが全くないことも分かった。一人用の席は勉強室や窓際に多少は置いてある(こちらも少ないように思えるが)。しかし、誰かと話したり交流する空間が図書館内にはほとんどない。

実際に利用者を見てみると、図書館の入口までは何人かで来ていても、中に入ると一人になって本を選ぶ人がほとんどで、何人かで集まって話をしている姿は全くなかった。

 

図書館を出ればそういった交流の空間もあるにはあるが、空間同士が断絶している印象を受ける。

例えば図書館で本を借りて、それをそのまま外に持って行って読んだり、人と交流するという使い方はあまりやろうと思えない。席自体が少ないし、外の空間は本を読むような空間にはできていないような気持ちがする。

 

図書館は図書館、交流スペースは交流スペース、店舗は店舗でそれぞれの空間が分離して存在しており、利用者同士が交わることがないようなイメージが強い。

私も施設の使用者すべての使い方なんて知らないから、うまく使っている人はいるのかもしれないけどね。

 

とりあえず感じたのはこんなところだろうか。

もちろん、そもそもの施設の大きさや立地条件によるところも大きいし、図書館の方針もあるだろうから一概に真似すればいいもんじゃないけど、圧迫感の少ない配置とか空間デザインみたいなところは、もう少し面白く見直せる余地があるんじゃないかなーと考える今日この頃。

とりあえず駐車場の無料時間を2時間までにするところから始めてほしいな。

 

10/16 FCイベント 制限解除戦闘会

既に継続性がボロボロになってるFCイベント記事。

10月は制限解除で零式コンテンツに向かった。

 

始めはマウント目的でアレキサンダー零式 起動編4層へ

 

自分も初めてだったっけー??と思っていたら、ムービー省略されていたので、どうやる来たことがあるらしい。

 

多分いつかの制限解除零式で来ていたんだろうな。俺をはじめとして複数人が記憶喪失の状態だった。

起動編4層は4本足の機械マニピュレーターが相手。

 

倒し方は完全に忘れていたけど、普通に足を順番に攻撃してったら倒せた。1回5分も経たずに行けたと思う。さすがに制限解除だとあっという間だ。

 

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報酬のゴブリンウォーカ―で円陣

さて、当初の起動編4層を15分程度で終えてしまったので、追加で律動4層と天道編4層にも突撃。こちらは自分も初見だった。

 

律動4層ではブルートジャスティスの合体シーンが見られる上に、最終段階のジャスティス合神が拝める。

翼が生える割には特に飛ぶような動きはしないが、なかなか神々しい姿だった。

 

中盤でギミックの分からない即死技があったが、最終的にそこに行くまでに削りきる作戦で対応できた。

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報酬マウントのアリダイオスでるなおを囲む図

少し時間が余ったので、最後は極白虎へ

白虎は弾避けパートという異常に長い演出があるので、出来るだけ弾避けまでに倒し切りたいところ。

2回くらいは間に合わなかったが、ラスト1回で弾避けまでに倒し切れたのがハイライト。

 

久しぶりの戦闘コンテンツで、動きが大分怪しかった。

暁月始まればまた戦闘コンテンツが多くなるだろうし、そろそろリハビリしていきましょうかね。

 

読書感想文「タタール人の砂漠」

ヤバイ本と出合っちまった…。

 

今回の読書感想文はブッツァーティ著「タタール人の砂漠」

 

 

お世話になっているエオルゼア読書倶楽部で読んでる人がいて、うちの図書館にもあったので試しに読んでみた。

その結果、危うく致命傷を受けるところだった。

 

一言で紹介すると、自覚なく無為に人生を浪費することの恐ろしさが描かれている本だ。

 

私も30手前になり、周りは次々結婚している。この年代には付き物なのかもしれないが、仕事でもプライベートでも「このままでいいのだろうか?」という漠然とした不安が無いわけじゃない。

かといって、将来を見据えて積極的に何かしているわけでもない。何となく不安を感じながらも、惰性で仕事しているだけの人間だ。

そんな状況に主人公のあり様が重なったように思った。

 

主人公の青年将校ドゴールは、初の勤務で山と砂しかないような僻地の砦 バスティアーニ砦へ飛ばされた。

当初はすぐにでも帰りたいと感じていたドゴールだが、なんだかんだ4ヵ月は勤務することになる。

4ヵ月で帰ると意気込んでいた主人公だが、慣れた勤務地を離れにくくなり惰性で勤務を続けてしまう。砦ではあまりに何もない日常を埋めるため、北の砂漠からタタール人が攻めてくるという噂が流れていた。

そのうちにドゴールもその噂を信じることで、自分の無為に過ぎる時間を埋め合わせるようになっていくのであったというのがあらすじ。

 

この本のやばいところは、時間があっという間に人生を飲み込んで過ぎ去っていく描写のえぐさにある。

個人的に最もえぐさを感じたのは2割くらいのところだ。

そこでは、時間が人生を飲み込み、どんどん過ぎ去っていく様が綴られている。これが何とも真に迫っており、初めて読んだときは息を呑んでしまった。

 

若者の時期には、歳月は軽やかで、ゆっくりとした足取りで過ぎていく。家々の戸口から笑顔で見送られながら、ゆっくりと歩いていけばいいと思っている。まだまだ先は長いのだからと。

しかし、あるところまで来ると、後ろの方で門が閉まっていっていることに気づく。そのうちどんどん鉄格子が閉まりはじめ、自分の背後まで迫ってくる。急き立てられるように歩くが、一緒に歩いてきた人もいなくなる。最後には灰色の海を前にして一人ぼっちだ。良いことは全て過去にあり、戻ることはできない。

 

この部分の表現がタタール人の砂漠の核になっているように思う。
この後の物語はどのようにしてドゴールがこの救いのない旅路を歩むかを綴ったものだ。

 

ドゴール達は価値ある何かを成したいと思っていた。今風に言うなら「何者かになりたかった」と言ってもいいだろう。しかし、流刑地のような砦ではそんなことはほとんど起こらない。

毎日監視、監視、監視、ひたすら監視。誰が通るわけでもない谷間を、敵が攻めてくることもない国境を毎日毎日同じように見続ける。

その中で「いつかタタール人が攻めてくる。我々はそれを守り通す役目があるのだ!」という噂は、兵士たちの希望や慰みになっていた。

惰性に埋没した日常の中で、そんな噂に縋っていかざるを得ないあり様を見ると、何とも哀愁を誘う。

 

4年目の終わりに、彼が街に一時帰郷したときの話も悲劇的だ。

休暇をもらって帰郷したドゴールだったが、級友はそれぞれ別の道を進んでおり、昔のような関係で話をすることができない。

恋人に対しても時間が作り出した埋めようのない隔絶を感じてしまい、恋人から暗に結婚を誘われても気づかないふりをする。

自分がいなくとも街は何も変わらないことを目の当たりにして、結局砦を恋しく思ってしまう。

長い砦の生活の中で、帰りたかった故郷も無くしてしまい、帰る場所が砦になっているのは何とも切ない。

かくしてドゴールはその一生をあっという間に浪費していくのだった。

 

単なる好奇心で読み始めた一冊だったが、自分の今の感覚と重なるところが多く、大ダメージを受けてしまった。

 

20代後半~40代で将来に漠然とした不安を抱きながらも、具体的なことは何もしていない人とかにはぶっ刺さる内容だと思うので、ぜひ一度読んでみてほしい。

 

また蛇足ではあるが、読み終わった後、私はこの作品のカウンターになりうる本を思い浮かべた。

飲茶著「体験の哲学」だ。

 

 

 

ドゴールは「体験の哲学」でいうところの哲学的ゾンビのような状態だろう。哲学的ゾンビとは日常の感覚に慣れて、「身体は習慣通り日常生活を営んでいるが、内面的には何も感じていない人間」のこと。

ドゴールはあまりに代わり映えしない砦の生活に慣れ過ぎてしまった。慣れてしまった感覚はほとんど感じることができない。

私たちが普段呼吸する時の肺の動きを感じないように、歩く時の足の裏の触覚を感じないように、ドゴールは自分の生活における大部分を感じられなくなっていた。

彼は起きながら熟睡していたようなものだ。だから一瞬にして時間が過ぎ去ってしまった。

 

だとすれば、その処方箋は「普段見過ごされている日常的な体験に目を向け、その体験を意識して味わって生きよ」ということになる。

呼吸や風を受ける感覚や足裏の感覚を意識して生活して、漫然と過ごさずにいられればドゴールのような悲劇は減らせるのかもしれない。

 

テイルズオブアライズ 感想 ネタバレあり

テイルズシリーズの新規マザーシップタイトルがついに発売された。

 

テイルズシリーズと言えばファイナルファンタジードラゴンクエストと肩を並べるJRPGの代表シリーズだ。

 

正直に言うとこの中でまともにプレイしたことがあるのはテイルズシリーズしかない。
デスティニー2からテイルズに触り、折に触れてテイルズをやってきた身としては感慨深い。

 

2019年のE3で発表されたアライズはそれまでのシリーズとは一線を画したリアル調の作風になっており、プロデューサーが語った“継承と進化”を感じさせられ、久しぶりにワクワクしたことを覚えている。

 

とはいえ、私が最後に触ったテイルズはエクシリアでもう10年も前のことだ。

エクシリアがあまり肌に合わず、その後のシリーズはしばらく様子見するようにしていたら、ゼスティリアの炎上騒ぎがあり、余計に足が遠ざかっていた。気づいたら10年もシリーズに触らずに来ていた。

 

お久しぶりのテイルズをクリアできたので、感想を残してみたい。

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あらすじ

自然あふれる豊かな大地に覆われた星・ダナは隣り合うもうひとつの星・レナのことを「死者が住まう地」として崇めていた。

300年前、ダナはレナから突然の侵攻を受ける。科学や魔法が発達したレナに対し、科学力はほとんどなく魔法も使えないダナは圧倒的な力の差で敗北し、ダナの人々はレナによる終わりなき隷属を強いられることになる。

ある日、ダナの青年・アルフェンは同族から追われるレナの少女・シオンと出会う。痛みを失ったダナの青年と他者に痛みをもたらすレナの少女の思いがけない邂逅は、ふたつの星の運命を揺るがす物語の始まりに過ぎなかった。

Wikipedia

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仮面が外れないアルフェン。飯食いにくそう。

■ストーリー・キャラクター面

感想を述べるにあたって、まず一言いたい。

はあああああーーーー!!! 末永く爆発しろ!!!!

 

これはストーリーを完結させた人ならどこかで感じたことなのではないだろうか。

 

今作、主人公:アルフェンとヒロイン:シオンの恋愛要素がシリーズ中でも色濃く出ていたように思う。

これまでも主人公とヒロインの恋愛的要素はずっとあったけど、今作はそれにも増して甘々な気がする。個人的には好き。

 

「痛みを感じない男と、触ると痛い女」ということで出会った段階で相性抜群の2人。

それぞれの目的のために一緒に旅をするようになるが、旅の中で仲間として絆を紡ぎ、お互いを信頼しあうようになる。この流れが最高なのよ。

特にシオンは優しさを秘めているけど、自分に触ると激痛を与えてしまうから、誰とも仲良くなどできず、人を遠ざけてきていた。そんな中でも自分を仲間とか友達とか言ってくれる人ができてくる。この流れはとてもいい。

 

その他のパーティメンバーもそれぞれ、自分とは異なるところが多い者同士で旅をすることになるけれど、旅が続くに連れてそれぞれを認め合っていく描写がある。

今作のテーマとして「壁を壊す」という言葉が随所に出てくるが、種族や生まれや能力の壁を壊し、仲間として認め合っていくのはRPGの醍醐味の一つだ。

 

ただ、もうちょい癖の強いキャラがいてもいいなーとは思った。大体みんなまともな年ごろの男女って感じで、尖りまくったキャラがいないかな。
極端におっさん、お爺さんというキャラもいないし、動物もいないし、裏切り者もいないし、独立独歩のキャラがいないという点では少々寂しい気もした。

 

それからストーリーの起伏という点でも少々物足りなさを感じた。

物語が進むにつれて、レナの真実や世界の危機といったものが明かされていくのだが、いかんせん仲間内で物事が閉じている印象を受けた。

例えば世界が危機に瀕したときに、それまで助けてきた国とかが共同戦線張って助けてくれるということがなく、後半のダナ側は空気になっていたように感じる。

支配者である領主を倒すまでは色々関わりあうんだが、領主を倒した後はあまり関わることがなく、世界の危機となってもおろおろしているばかりな印象を受けた。

 

まあ、舞台が惑星間という大きなものになっていくので、やることないと言えばそうなんだが、どうもここ一番で胸を熱くするような世界を巻き込んだダイナミックな展開は乏しく感じられた。

 

あと、ヴォルラーンが面白かった。

今作の変態ストーカー枠であるヴォルラーンだが、氷の玉座に腰を悪くしそうな姿勢で座ってたり、主人公らに執着してどこまでも追ってきたり、見ようによっては可愛いくも思えてくる。

戦闘でも主人公にヘイトが滅茶苦茶向いてて、ステージの外周を逃げ回ってる自分にとことこ付いてくるのが面白かった。

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変態ストーカー ヴォルラーン。シオンを自分好みの衣装に着せ替えさせたりもした

■顔表現の進化

キャラクター造詣の作風が変わったことで繊細な顔の表現が可能になっているように思う。

これまでの作風はアニメ調で、喜怒哀楽が分かりやすい漫画的な表現が多かった。

対して今作はリアル調になったことで、喜怒哀楽の繊細な感情の表現ができており、微妙な感情の揺れ動きも感じられて面白い。

 

■ビジュアルの進化

公式でも言及されている通り、リアルとも違う独特の空気感のビジュアルだった。

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絵画的なビジュアル

■戦闘面

全体を通してちょうどよい緊張感のある戦闘ができた。敵はそこそこ固いが、術技はすぐにゲージが回復して出すことができるため、スピード感を感じられる。

ある程度削った状態でコンボを決めれば、敵を一撃で倒せる技も出せるので、いかにコンボを決めていくのか考えるのも楽しい。

 

ただ、回復アイテムであるグミ系が過去作と比べてとてつもなく高く設定されている。

特に回復に必要なCPを回復させるグミはとんでもなく、CP30パーセント回復のレモングミは1個3,000ガルドもする。大体のクエストの報酬が1万ガルド以下なので、3つも消費したらそれだけで赤字になる。

 

そのためCP消費が重い蘇生魔法のレイズデッドは使用不可にして、ライフボトル(1個1000ガルド)だけで蘇生するようにしていた。こんなことはシリーズで初めてだったのでなかなか衝撃的だった。

 


 

こんなところかな。

 

少々パンチが弱く感じられたところもあったけど、戦闘は爽快だし、レベルデザインもノーマルで簡単すぎず難しすぎずちょうどいい緊張感を持てた。

 

テイルズらしさと新しさが同居した“継承と進化”の名に違わない新しいテイルズとして面白いゲームだった。

出荷本数的にもいいペースで出てるみたいだし、今後のテイルズにも期待したい。

自分がRPGできる時間があればだけどな!

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お気に入りシーン



 

幻影の夏を見つけた話

以前、こんな話を書いた。

numamemo.hatenablog.jp

 

オタクの心にある架空の夏―幻影の夏―に行きたいけど、どうすればいいのか分からねええええ!!という話をしていたのだが、なんとなーく「これかも…」と思えるようなことがあったので書いてみる。

 

さて、今回例のごとくどこかへ行きたい衝動に駆られ、あいち健康の森公園にやってきた。

フラフラドライブしていて偶然見つけた公園だったけど、駐車場無料で広いし、公園自体も広くて設備も整ってるし、いい公園だった。

 

さて、この公園の中に体育館があった。

散策しながら近くを通りかかったところ、どうやら中学生だか高校生くらいの子たちがバスケットボールを使った何らかのゲームをしているようで、ドリブルの音と時折歓声が聞こえてくる。

ふと心に何か感じるところがあって、足を止めてその光景を眺めてみる。

 

体育館の電気が中の熱気に呼応するようにきらびやかに灯っている。

対して体育館の周囲は、日は沈みかけ夕闇が迫り、虫の音が涼しげに響いている。少し肌寒くも感じる秋の気配が体育館とは対照的だ。

 

彼らはこのゲームが終わったら家路につくのだろうか。

多分一緒にゲームしていた友人たちと世間話や次の予定を話しながら、体育館の明かりを消し、夕闇の中を家に帰っていくのだろう。

そう思っていると、不意に物悲しい気分になった。

 

自分にとって、それは永遠に失われた光景のように感じるのだ。

 

それと同時に、これこそが自分の求めていた「幻影の夏」(季節的にはもう秋だが)のようにも思えた。

 

この感じ。物悲しく、胸が締め付けられるような、そんな記憶はないはずなのに郷愁を誘われるような感覚はまさにオタクの心にある架空の夏を感じた時と同じ感覚だった。

 

ふと気づく。

幻影は現実にないから行くことはできないって思ってたけど、幻影は現実と自分の認識が組み合わさって、そこに浮かび上がってくるものなのかもしれない。

 

秋風や虫の音、夕暮れという時間、中の明るさと外の暗さのコントラスト。

そういった現実のあれこれは幻影そのものではないけれど、現実の色々なものが編み合わさった布に私が触れることで、ここに幻影が出てくるようなイメージ。

 

幻影はどこかにあるものではなく、そこにあるものに自分が触れることで浮かび上がってくるものなのかもしれない。

 

だから、幻影を探しにどこかへ行くというアプローチよりも、身近にあるものから幻影を浮かび上がらせられるように、自分の感覚を研ぎ澄ますことの方が重要なのかもしれん。

 

幻影の正体が分かったことで、今までよりは身近な場所から幻影を見ることができそうな気がする。

 

それこそ自分の部屋の中から通勤の行き帰りの時でも、ハッとするような青空からふさぎ込みたくなるような雨空でも、そこにある幻影を積極的に捉えていければよいな。