沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

弱さで繋がることの困難さ

先日コンプレックスを持つ者同士が自身のコンプレックス体験を話し合うという会に行ってみた。自分自身にコンプレックスがあるものの、そういったことは友人やましてや家族にもなかなか言えない物がある。前々からコンプレックスについて誰かに話してみたいと思っていたので良い経験になった。なお、ナイーブな話になるのでどのようなコンプレックスについてかは伏せておく。

 

個人的には普段話せないようなことを安心して話すことができる場だったので、行ってみてとてもいいなと思った。人のコンプレックスの内容を聞いて、「あ、自分もそういうのが嫌だわ」と言語化できたり、反対に「うーん、そういうところは相容れないな」と違うところを発見したり、自分のコンプレックスの解像度が上がったと思う。

ただこういったみんなで話すという場で、癒されるとか心が軽くなるとか人と繋がるといった気持ちにはあまりならないなと感じた。もちろんこの辺の効果というのはとても個人差があることは前提の上で、自分が感じたことを言語化してみたい。

 

自分がこの会でポジティブな効果を感じにくかった原因は嫉妬だった。

会の中では、自分の苦しかった経験とか困ったことを話したりするのだが、当然人ごとに体験にグラデーションがある。同じコンプレックスを共有しているとはいえ、人によってははっきり言って羨ましいと感じるような体験をしている人もいる。自分が求めても全く手に入らなかった体験をしているのに、それが苦しいと言う人がいる。それを聞く私はどうしても嫉妬心を感じてしまう。まさに隣の芝生は青い色。

とはいえ、それは多分私についても同じことで、誰かから見たら私の体験も、もしかしたら羨ましいものに思えるのかもしれない。「そんな幸せな状態で苦しいとはなんだ」と思われることもあるのだろう。

これがどうでもいい話題の時ならそんなに嫉妬することもない。だが、えてしてコンプレックスや弱さというのは適当には済ませられないところがある。普段の生活では抑えられていても、いざそれに向き合おうとすると傷がえぐられるような気持ち悪さを覚える。だからこそ弱さで繋がるというのは、ただ趣味とかで繋がることよりもよっぽど難しい。

 

苦しみは個人特有のもので、比較してもしょうがないんだけど、どうしても「いや、私のほうがよっぽど苦しいが??」と自分の中で不幸自慢が始まってしまう。不幸自慢をし始めれば、自分の不幸を立証する証拠集めをし始める。その先はどこまで行っても誰かと自分を比較し続ける無間地獄だ。

そんなわけで、同じコンプレックスを持っていたとしても結局どこかで断絶を感じてしまうなーというのが参加してみた感想だった。こういう感情をうまく処理して繋がりを作っていける人もいるんだろうけどね。嫉妬心はなかなか処理するのが困難だ。

 

実際のところどうしようもないのだ。嫉妬心とか人と比較してつらいとかって話をすると「人と比較しないようにしよう」とか言う人もいるが、それはその人にとってどうでもいいことだからそんなことを言えるのである。人間が人間の世界で生きる以上、比較する心はどうしようもなく存在せざるを得ない。ましてや自分が気にしている弱さならなおさらだろう。比較をするから嬉しいし、楽しいし、悲しいし、苦しい。比較する心から離れようとするアプローチもあるにはあるけれど(仏教とかね)、どうしたって一般的なアプローチではないし、単純に難しい。

だから、嫉妬心も比較もそれ自体は仕方ない。それがあるまんまコンプレックスについて話したり、繋がったりできんもんかなーとか考えている。もちろん、そんな嫉妬心を掻き立てられる人と繋がる必要はないといえばないんだけど、せっかく同じようなコンプレックスで話ができるのであれば、そのほうがいいだろうとも思う。

 

この辺ほかの人はどうしてるんだろうね。うまく嫉妬心と付き合いながら、人と付き合う方法はないものだろうかと考えるこの頃。