沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

謎解き街コン結構面白かった

先日の街コンつまらんかったって話を出したところ、白夜さんのアドバイスで体験型婚活イベントもいいかもと言われたので、謎解き×街コンのイベントに参加してきた。

 

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numamemo.hatenablog.jp

 

どちらかと言うと街コン行こうっていうより謎解きやってみたいのが大きくて、楽しめればそれでいいかなって感じで参加した次第。

謎解きの内容は、近くの商店街の中を巡って、暗号とかを解いていくもの。謎解きといえば脱出ゲームと考えていたので、外を周って謎解きをするのは新鮮だった。

 

参加者は男性6人、女性4人。5人ずつの2チームに別れ、前後半でメンバーを入れ替えながら謎解きをしていく形となった。

30代以上の街コンだったので、参加者は大体落ち着いた感じの人が多く、年上も結構いた。ただ、若干名「お前、絶対今まで彼女とか困ったことないだろ…」(ド偏見)と思うような高身長イケメンが混じってたのは、何かのバグじゃないかとなんだか面白くない気分になった。まあ、当然人様の背景など知るよしもないので、どういう気持ちで参加しているのかなんて全然わかんないんだけどね。

 

今回の街コンは結構面白かった。

リアルの謎解きってしたことなかったから新鮮だったし、共通の話題もあるから話しやすくはあった。謎解きっていうとネット上の脱出ゲームを人とやったことがあって、あの時もあーでもないこうでもないと話しながらできたので、それをリアルに持ってこれるのは面白い。なお、全然解けない場合は結構ストレスになることもあるのでその辺はバランス感覚が必要かも。

また移動で体を動かしながらだから、座って話すより単純に話す量が増えるのが良かった。多少でも体動かしながらのほうが喉がよく動くように思う

全体的に終わったあとの満足感は高かったので、今後も参加するとしたらイベント系のほうがいいように思った。

 

しかし、当日遊ぶのはまだいいとして、連絡先交換って難しくないか?

「せっかくの機会だから」ってだけの連絡先交換しても大概その後に続かない。「ここ行きたいから連絡先教えてよ」みたいに、連絡先交換にある程度必要性がないといけないんだけど、そこまでの流れにするのが難しいのよな。

あともっと根本的な問題として、複数人と交換した場合、誰が誰だか分からんという

問題がある。ただでさえ人の名前覚えるの苦手人間なのに、イベントの名前とLINEとかの名前が違うとまじで誰が誰やらになって何にも分からんくなる。全人類、あらゆるアプリ上の名前を統一してくれ!。もしくは忘れたくても忘れられない海馬に優しい名前にしておいてくれ!。

 

あとこういう場に参加すると思うけど、男女問わず誰とでも仲良くなれる人ってすごいよな。例えばこういう街コンみたいな場で参加者みんなに気が使えて、場を盛り上げられる人。ああいう人羨ましいなーって思うけど、実践はなかなか難しい。歩きながら隣の人と話しているときに、どうやって後ろの人とかに話せばいいのか分からん。あと、何となく前2人で自分が後ろで1人になったときの話し方が分からん。みんなこの辺どうやってるんだろう…。

 

それから、おれが友達作り苦手なだけかもしれないけど、あんま男性同士で仲良くなるってない感じがする。

街コンに参加していると、女性同士は初対面の参加者同士で仲良くなる人もいるけど、男性同士で仲良くなる人はあまりいない印象がある。男性から女性へ連絡取ることは当たり前にあるんだけど、グループでまた会いましょうみたいなことは皆無だった。

当日会っただけの関係なんだから当然っちゃ当然なんだけどさ。男性同士でも友達作れたら面白いかもしれないなーなんて思ったりもする。私の場合はそれ以前の段階かもしれないが。

 

そんな感じで結構面白い体験になったのだった。

街コンおもんな…

先日街コンなるものに行ってきたので、その時の記録。

感想:おもんな

この歳になってきて、ただ出会いが無いなどと言っているだけでもいかんだろうと、とある街コンに参加した。

街コン自体はコロナ禍前に1回行ったことがあったので、それ以来の参加になる。

今回の街コンは男女それぞれ40人の計80人くらいの街コンだった。1テーブル4、5人で話して、15分経ったら男性側がテーブルをぐるぐるしていくタイプである。ビルのイベントスペースに80人が押し込められ、なかなか密な環境下でガヤガヤ騒がしい状態になっていた。

 

最終的に「おもんな…」と感じた理由としては、初対面の人間のプロフィールに興味持てないことと、みんな思考スピードが速すぎてついていけないなーというのが大きいと感じる。

挨拶はまあいい。普通にこんばんは~だ。

次に自己紹介。これもまあ定型文を言えばいい。

じゃあ、次は?

 

当初はプロフィールカードをみんなで見せあって、とりあえず話できそうなことをちょこちょこ話せばいけるかなーと甘く見積もっていた。

最初の席で他の人のプロフィールカードを見てみる。プロフィール欄にはニックネーム、居住地、趣味、仕事、好みのタイプ、自分の性格etc…。

……興味ねぇ~…。

 

今日会っただけの人間に対して、趣味だの好みのタイプだの、ましてや自分の性格だの本当にどうでもいいなと思ってしまった。こういうのに興味持てて、積極的に質問する人もいるんだろうけど、今の私には話を続けるのが正直きつい。

これが何かイベントなどで継続的に付き合いがある人の話であれば、面白く聞いたり、どんな感じなの?と質問しやすいと思うんだけど、初対面で、なおかつ今後会うことはほぼ無いだろう人間の話を広げるのが難しいと感じた。

 

それから、みんな思考スピードというか話すスピードが速い。

自分と一緒に回ってた人達は営業職というのもあってか、特に話も上手いしノリも良かった。それ以外の人達も、パンッって話された内容に対してポンッって答えてるように自分には見えた。カッと言ったらトツッと答えるみたいな応答速度なのである。

その点、どうも私は昔からポツッ、ポツッって感じの話し方になってしまうので、どうしても周りに圧倒される。私が1つ話す間に、他の人は5つくらい話しているって状況が結構な頻度で出てくる。

これがゲーム内チャットとかなら、多少応答速度が遅くなっても問題ないんだけど、リアルの会話ではどうにもうまく速度のギャップが埋められない。ましてや周りがガヤガヤしている中で相手の話もよく聞こえない時もあったので、余計に会話が困難であった。

 

そんな感じで、どうにも楽しめない街コンとなってしまった。

ただ、つまらなかったけどあんまりネガティブな感覚は少なくて、むしろ「つまんな…」と思えること自体が、よい兆候であるようにも思っている。

今までの私だと、こういうことがあると面白いつまらない以前に「なんで私は上手く話せないのだろう」「人を楽しませる話ができないのだろう」と自分を責めてネガティブになっていた。

 

今回は、そういうネガティブな感覚を持たないわけではなかったけど、それ以上に「つまんねぇ…」という感想が一番前に出てきている。

自分の会話が拙かろうとなんだろうと、つまらんもんはつまらんと感じられるようになったのは多分よい兆候であるように思う。もしくは図太くなったか。人生開き直りが大事だから、まあこれでよいのでしょう。

また街コン行ってみたい気分になったら、もう一回くらいは行ってもいいかもね。

東京とサンホラとプリヴィアさんと

6月に東京へ行ってきたのでその記録。

メインの目的はサンホラの「絵馬に願ひを!」コンサート。こちらは大阪公演のときも行っていたが、今回が千秋楽ということでもう一度の参加となった。

元々、絵馬に願ひを!はそれぞれのコンサートで選択肢によって分岐が発生するため、公演ごとに演奏される曲が異なる(可能性が高い)ので複数回参加して違いを観るのも楽しみにしていた。

前日に台風の影響で大雨が降り、行けるかどうか微妙なところであったが、公演までにはギリギリ新幹線が運行しそうだったので、10時頃には名古屋駅に着くようにしていた。が、そこにはかなりの人だかり。当然みんな東京に行きたいのである。

 

当日の様子

 

正午前には運行するようになったものの、大阪から人が乗り込んでいるため、わざわざ名古屋で降りる客は各扉ごとに10人もいない。遅々とした歩みを我慢しつつ2時くらいにようやく新幹線に乗れて間に合いそうだと思ったのも束の間、名古屋で緊急停止ボタンが押されたらしくすぐに止まってしまうのであった。噂ではあるが、駅で喧嘩が起きて苛ついた客が停止ボタンを押したとかなんとか。

結局公演時間には少し間に合わず、1曲目が終わったところから参加することになった。最初の曲を逃したのは残念だったが、めちゃくちゃに遅れるということはなくてよかった。

 

肝心の公演の方であるが、いつものサンホラらしく素晴らしいものではあったものの、いわゆるTrueルートには行けず、少々物足りない感じで終わってしまったのが残念であった。新しい曲が聞けるのはいいんだけど、やはり自分の頭では曲を追うのに精一杯になってしまい、曲を感じ入るところまでいけないのだ。その点ではBDがコンサート後の発売になってしまったのは痛かったな。

それからコンサートの映像が出ない件な。結局見れていない曲とか演出とか演者さんは映像で見ればいいと思ってたからやはり残念。大人の事情で致し方ないとはいえ、やはり完全版が来ないかなと思ってしまうな。

あの鳥肌がたった笑い声とか、曲終わりの演出が全部記憶の中だけになってしまうのはなんとももったいない。「この一期一会がライブだ!」と言われると確かにそうかもしれんとは思うけど、やっぱほしいよなー映像。

と、そんなことをつらつら思いながら、その日はホテルに戻ったのだった。

 

さて、ホテルに戻ったところで翌日の計画を考えていた。コンサートだけを目的に来ていたので、イベントとかは調べてもいなかった。ふと、そういえば読書倶楽部で交流のあるプリヴィアさんが関東にいると聞いたことを思い出した。珍しく誰かと遊びたい気分になってきて、翌日ダメ元でお誘いしてみた。

普段自分から遊びに誘うのが苦手な性分ではあるが、プリヴィアさんとは読書倶楽部繋がりで通話したこともあったので、散々迷ったがなんとか誘うことはできたぞ。

結果、快くOKをもらったので、まだ自分が行ったことがなかった吉祥寺で落ち合うことになった。初対面の人と会うときの常で、マッドマックスに出てくるような強面怪人が来たらどうしようかと考えていたが、実際に会ってみると声音のとおりに穏やかな面白兄ちゃんで安心した。

 

最初はゆりあぺむぺるというカフェに行きたかったのだが、まあ人の多いこと多いこと。店に入るまでに2時間はかかるかと思われたので断念。

info85594.wixsite.com

 

プリヴィアさんの案内でうさぎ館というカフェに向かった。

tabelog.com

こちらはガレットが一押しらしかったが、直前に昼食を食べてしまっていたので、クリームソーダを頼むことにした。

こちらのクリームソーダ、鮮やかな色が何種類もあって写真映えしそうな一品だった。クリームソーダなんて10年以上は口にしていなかったが、久しぶりに飲んだらめちゃくちゃ美味しかった。

 

プリヴィアさんとはゲーム内や通話で何人かと一緒に話をしたことはあったが、サシで話をするのはゲーム・リアル通じてこれが初めてだった。最初は話ができるか不安だったが、結局1時間半くらいカフェで話をしていた。知り合ったときから思ってたけど、やっぱり人の話を引き出すのが上手い。なんでも面白がって聞いてくれるし、話題も豊富だからこちらが考えている以上に話が弾んでいく。

 

その後、ZINEの即売会が近くであったのでそちらにも足を運んだ。評論系の同人誌即売会に行ったことはあるが、ZINEはよりデザインが凝った作りになっているように感じる。

ここで私は今日一番の衝撃を受けることになる。プリヴィアさんの出店者さんに対する距離の詰め方が驚異的だった。会う人会う人がみんな形式的な挨拶以上に作品の内容を説明したり、プリヴィアさんと世間話に花を咲かせている。一瞬全員と顔なじみなのかと思ったが、当然そんなことはありえない。初対面の人に対して一瞬で懐に入ってしまっているのだった。

 

どうしてそんなに距離を詰められるのか自分が感じたところとしては、プリヴィアさんは面白がれる範囲の広さ深さ、面白さの言語化が突出しているように思う。どのブースに行っても、まず展示品を見て、すぐに「え!、面白い!」って実際に言って、「こういうところすごい好きです!」とか「ここいいですね!」とかちゃんと具体的に面白いところを言ってそれを率直に出店者さんに伝えていた。当然出店者さんも「こういうのが好きで~」とか「こんな工夫したんですよ!」ってなって、それに対してもしっかりリアクションして聞くから、そりゃ作者からしたら嬉しいに決まってるよなと圧倒されていた。

私も好きなものに対しては(あ、面白いな)とは思うけど、せいぜい心のなかで思うだけで「面白い!」と言葉に出すことはほぼない。それにどうして面白いと思ったのかという言語化はさらに難しい。

自分の周りでは今までこういった面白さを見つけてめっちゃ表現する人がいなかったので、すごい見習いたいなと思ったのだった。

 

当初サンホラのライブだけを目的にして東京行ったけど、思いがけずプリヴィアさんと遊べて二重に楽しい旅行となった。少しだけ人を誘うハードルが下がった気がするので、知り合いがいたらもう少し軽率に遊びに誘え…る…かなぁ…???

 

 

人に慣れるということ

1年通ってギター教室の先生とようやく慣れてきた感じがある。

 

先日のギター教室でのこと。

これをああして、あれをこうしてって自分が知ってる前提で話されていた時に「あ、それ知らねえっす」と気楽に言えたり、先生から「あれ、そのコードやったことなかったっけ?」って言われたときに「そうでしたっけ?、まあ教わっても大概忘れてるんで」とさらっと言えたりできた。

今までの自分だと、こちらが知っている前提の話をされても、知らないと言えずにあいまいに頷いたり、それやったことなかったっけ?って言われたら、内心(やってたっけ…。ああ、忘れちゃってて申し訳ないな…)となってフリーズしたりしていたところだ。

 

月2回ぐらいずつギター教室に通い始めて、大体1年くらいでこのくらいの会話ができるようになってきた。

今までの経験だと、これくらい人慣れするのに2年半くらいかかるかなーと自覚していたが、思っていたより早く慣れることができたと思う。

ある程度成長できているということか。

昔からどうにも人に慣れるのが遅い人間だった。

中高の部活動では同級生とさえ遠慮なく話ができるようになったかなーと思ったのは、3年生になってほぼ引退直前の頃だった。それも平日土とほぼ毎日顔を合わせているのにである。

大学のころは、そもそも同級生であまり顔を合わせるって場がなかったな。3,4年はゼミがあったから、定期的に会う場所はあったけど、結局最後まで慣れたって感じがなかった。もう1年くらい会ってたら慣れるものだったんかな。

そんな感じだから、1年程度で慣れた感じになったのは随分と珍しく思った。

 

もう少し人に早く慣れたいんだよな。それなりにちゃんと話できるのが2年とか3年経ってからだと、あまりにも長すぎて人間関係が消滅する方が多いんだよ。

今後も早めに人に慣れていきたい。

どこへ行っても半端者

少し前にフラメンコの1日レッスンに行ってきた。生徒は20人くらいであっただろうか。踊り、歌、ギターの各種を少しずつやるレッスンだったので、生徒もそれぞれを普段やっている人が少しずつ集まっていた。

一緒にレッスンを受けていることもあり、普段どんな感じでフラメンコやっているのかという話もいくらかした。ある人はある時見たフラメンコに感動して、フラメンコを始めたという。またある人はかつてフラメンコブームがあったときに、友人に誘われて始めたという。

私も自分のきっかけを話す。エースコンバット・ゼロっていうゲームでフラメンコ調の曲が使われていて、特に「ZERO」って曲が好きになった。そこでフラメンコギターが使われていると知って、そこから興味を持ちましたと。

この辺りまで答えて、口ごもる。

大体みんな、ちゃんとフラメンコをやったことがあったり、やろうと思ってたりするのに、私は別にフラメンコをそこまでやりたいわけではないから。

別にやりたくないわけじゃないけど、そっちよりはアニソンとか、ゲーソンの練習を今はしていたい。

他の人は「偶然見たフラメンコに憧れて…」とか「あの先生に習ってて…」とかあの曲やったことあるとか、あの踊りやってますとか言っている中で、フラメンコギターでアニソンの弾き語り練習してますとか、般若心経に伴奏付けて唱えてますとかなかなか言えんかった(し言わなくて正解だとも思う)。

別に恥ずかしがることじゃないとは頭では分かってるんだけど、どうしてフラメンコギター買って、フラメンコやらないの?って聞かれると、気分じゃないからとしか答えられないんだよな。

 

なんか色々中途半端だよなと最近思う。

ギターに限った話じゃなくて、他の趣味とかについても。

 

読書はまあまあ好きだけど、日常的にずっと読んでいるわけでもない。作品単体で好きはそこそこあるけれど、この作家さんやジャンルが超好きっていう話ができるほどではない。

座禅とか仏教については、それなりに興味はあって、座禅会に行ったりするけど、そんなに超好きって訳じゃない。むしろ好き嫌いで言えば嫌いな部類に入る。でも他の参加者の話を聞くと、「座禅組んで心静かになるのが好き」とか「毎日座禅組んでます」とか言っていたりして、すげーなーと思いながら、なかなか自分とは相容れないなーって感想を持ってしまう。

ゲームはそれなりに好きだけど、トロコンとかするほどやり込めないし、対戦ゲームにしてもまあまあ動けるようになってきたかなってところで、もういいやって辞めてしまう。

 

ここまで書いてて思ったけど、中途半端なのが嫌なわけじゃなくて、「人に誇れるものがないな」っていうのと「理由についての説明が難しいな」っていう2つが引っかかってるように感じる。

読書とかゲームとかは、趣味としてやってるけど人に誇れるほどの知識や熱量がないのが引っかかっているように思う。

ギターとか座禅については理由の説明が難しい方の嫌さかな。例えば「フラメンコギター買って、般若心経の伴奏したいです!」って言うと「はー…??(なんで?)」、「座禅は好きじゃないけど、座禅会参加してます!」って言うと「はー…??(なんで?)」って言われそうな気がする。それに対して、こういう理由なんですって明確に言うのが難しい。どうしてと言われても、さあ…?となる気がする。

そういう説明できない不安感から、自信持って「こんな感じでやってます」と言えないのかなーとか思った。

まとまり無くなってきたからこの辺にしとくか。また、何か思いついたら似たようなこと書くかも。

 

GW接心記録

GWに仏教徒ちゃん(https://twitter.com/asobumin?s=20)と仏アレさん(https://twitter.com/honnebose?s=20)の接心に2泊3日で参加して、お寺に宿泊しながら座禅をしてきた。寺に滞在中、仏教徒ちゃんと仏アレさんにはお世話になりっぱなしで、よい機会をいただけてありがたい限りでありました。

正直、GWの貴重な休みをただ座るだけに使うのか…? と自分の中でも迷いに迷ったが、どうせどこへ行っても人多いし、数日間くらいはこういう時間があってもよかろうと言い聞かせて参加した次第。結果的にはいい感じの体験ができたのでその記録をしておきたい。

なお、以下で座禅のときこうすればいいかも的なことも書くが、あくまで私の体験に基づいて私が勝手に考えたものなので、公式の話ではないことを断っておく。

 

・座禅中の眠気は覚めるのか?

私は座禅中は大抵寝ている。

座禅会自体は何度か参加させてもらっているが、1日くらいの座禅会だと、まあ5〜6割くらいの時間は意識失っているように思う。

寝てしまうのは少し座禅した人あるあるみたいだが、当然寝るのはあまり良くないので、毎回終わったときには「ああ〜、今日も寝ちまったな〜」と少しばかり決まりが悪くなることが多い。

一応考え事していると眠くはならないのだが、座禅の心構えとしては考え事で頭の中満たすのもあまりよろしくないだろう。

人の話を聞くと、長い時間座禅をしていると寝るのにも飽きてくるという話があったので、今回の座禅会ではどれくらい寝たら眠くならないのかを気にしながら座禅してみた。

結果から言うと2日目の昼飯を食べたあと、大体18,19セット目(1セット=座禅40分、歩き10分、休憩10分)辺りから眠気が出なくなったように思う。

1日目は朝9時から始めて、昼夕の休憩を挟みつつ、7セットやったあたりから眠気が薄くなってきたけど、結局その日は眠気が覚めることはなかった。2日目の昼食後辺りからようやく眠気が出ないようになってきた。

ずっと座っていても眠くならない! 本当にあの頑固な眠気が覚めるんだ! と文字通り目が覚めるような驚きがあった。

やはり思考を止めてかつ眠りもしないためには、ある程度時間が必要そうだ。

 

それはそれで良かったのだが、ふと気づく。…何か座禅の時間長くね?

眠気が覚めたことで、これまで睡眠でスキップしていた時間分が、直に感じるようになったらしく体感時間がそれまでの2倍くらい長くなっていた。

眠気が覚めたあとの座禅中には「あれ、もしかして終了の鐘鳴らすの忘れられてない? いや、絶対忘れられてるよコレ!」と何度も思ったが、終わりの鐘がなるたびに、「あ、普通に40分でした…すみません…」となっていた。確かに眠気を感じないのは、スッキリしていいっちゃいいんだけど、脚も尻も痛い中、体感時間が伸びるのは結構きつかった。

接心の終盤は、むしろ寝て時間スキップできないか試してたんだけど全然無理で、もはや寝たくても寝られない状態。まさかこんなに眠気が来ないことがあるんだと初めて知った体験であった。

 

・それでも眠いときはどうするか

どうしても眠いときは開き直って寝ちゃえばいいんじゃないかなと今は思うようになった。どうせ何したって寝るときゃ寝るし。寝てしまうことをいちいち引きずる必要はないのかなと思う。

それでもあえてやれることとしては、最初のちょっとだけは寝ずにいられると思うので、10秒間だけ全身全霊で座禅して、あとは流れに任せるって感じでいいと思う。

寝たきゃ寝ればいいし、考え事したきゃ考え事で脳味噌バチバチさせてもいいしって気持ちでやってた。

もし10秒以上集中できるようなら徐々に時間を伸ばしていけばいいかなーって感じ。

それもできない、座った瞬間に眠りに落ちるって人がいたら、もうそれは一種の才能だからむしろ誇っていいと思う。

そんなわけで一瞬だけガー!って集中したら、あとは好きにして気楽にいればいいんじゃないかなー。どうせ1日半くらいずっと寝てれば、そのうち寝たくても寝られなくなってくるんだし。

こういう気楽さを感じられるようになったのは、今回の接心で最大の収穫かもしれない。

もちろんガチで修行して僧侶になろうとか、悟りを開きたいとかいう人の場合は別だろうけど、私はそんなつもりはないし、世間を生きるための方策の1つとして座禅するならこんくらいの気楽さでいいんじゃなかろうか。

 

・安楽座での手の置き場所について

最近座禅するときはよく安楽座で座るが、いつも手の置き場所に悩んでいた。

結跏趺坐とか半跏趺坐の時と同じように、股の間に手を置こうとすると、安楽座では腕が下に伸びてしまい、筋肉が張ってしまう気がしていた。他には法界定印を組まずに両膝に手を置いてもみたけど、体が前傾になりやすく、あんまり安定した感じが得られなかった。

今回、ふと持っていたタオルを安楽座の股の上に置いて、そこに手を置いてみると、これがとても具合がよかった。高さが出て、結跏趺坐のときくらいの手の高さになり、張らず反らずのちょうどいい腕の高さにできるように感じた。

 

こんなところだろうか。

行くかどうか散々迷っていたが、結果的に実りある接心にできてとてもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フラメンコレッスンに参加した話

先日、三重県四日市市でフラメンコのクルシージョ(短期レッスン)があったので参加してみた話。

もともと、フラメンコギタリストの池川先生の動画を見ている中で、クルシージョの告知があったので、そこから参加した。

フラメンコは、ギタリスト、歌い手(カンテ)、踊り手(バイレ)の3つの役割で成り立っている。通常、それぞれレッスンは別々に行われ、それぞれがどんな風に感じているかを知る機会はあまりない(らしい)。そこで、今回のクルシージョではできるだけ題材を単純にして、3つの役割を全部習って、併せてみようという企画だった。

先生自身で言っていたが、普通に無茶ぶりな内容である。

前半で飯塚 真紀先生によるコンパス(フラメンコで用いられるリズムパターン)のレッスンがあった。

 

以下言われていたことのメモ

・1,2,3,4の表拍以上に、裏拍のノリを感じるのを重視してほしい。裏拍を叩くんじゃなくて、ノリを感じる。表拍が地面を向くようなイメージなら、裏拍は空中にあげるイメージ。タンタンタンタンよりも、タッン~タッン~タッン~タッン~みたいな。表拍が必ずしもいらないわけじゃなくて、今回の内容だと裏拍のノリを重視したほうがいい。

・リズムはコンパスの名の通り円が回っている意識で感じる。また、1週目の円と2週目の円は異なっていることをイメージする。円をぐるっと描いたら、その円が移動しながらまたぐるっと回る感じ。

・参加者全員で同じコンパスを感じる。コンパスがオールで全員で同じようにオールを漕いで船をまっすぐ進めていくイメージ。

・1つの歌の中でエネルギーを溜めて溜めて、最後に出し切ることをイメージする。

 

以上を踏まえて、コンパスの練習で「ぞうさん」の歌が使われてたのが面白かった。おーはなが長いのねってやつね。

コンパス自体はフラメンコをかじると必ず目にする概念だけど、今回みたいなイメージで語られることは少ないように感じたからとても新鮮で勉強になった。

後半は池川寿一先生のギター、歌、踊りの三位一体レッスンが行われた。

最終的に、数人ずつでそれぞれ役割をすべて行い、数時間のレッスンで全部を合わせることになった。もちろんそんな超立派なフラメンコにならないが、皆で1つの音楽を合わせて作っていくのはとても楽しかった。

踊りだけやギターだけなら普通にお金をもらってるレベルの人もいたが、全部の役割ができる人はいなくて、誰かしらどれかの役割が初心者になるから、そういう意味でも気楽にやれて気持ちよかった。

今回の企画の意図について、池川先生が言っていたことも印象的だった。

本来、フラメンコというとギター10年、歌10年、踊り10年やってやっとスタートラインみたいに言われていたらしい。でも実際にスペインに行ったら、「そっちギターやるなら歌やるわ」とか「踊りやるからギターよろ」みたいに、1人がそれぞれちょっとずつできて、カジュアルにフラメンコやってるみたいなことがよくあったという。

そんなわけで、全員がそれぞれの役割をある程度知っていれば、他の役割の難しいところや気になるところが分かるだろうし、カジュアルにフラメンコを広めていくこともできそうということで、今回の企画を軸に全国へ広めていきたいとのことだった。

この辺の話はFF14のジョブシステムを連想していた。タンク、ヒーラー、DPSそれぞれ極めようと思うととても難しくなるが、カジュアルに楽しむのであれば、全部を少しずつできる方が、様々な状況に対応できて便利だし、他の役割を知る機会になるから、それと同じようなものかもね。

あと、ギター始めて9か月位になると思うけど、それでも初めてギターを触る人に教えられる位にはなっていて、ちょっと自分の成長を感じていた。やっぱりこうね、「これってどうやるの」って頼られるとうれしいものね。

 

クルシージョが終わった後は、近くのカラオケ屋でお菓子をつまみながら、懇親会に参加した。こういった愛好会の場をペーニャと言うらしい。

普段の私なら、こういった懇親会の場というのはあんまり話が出来ずに不完全燃焼で終わることも多いのだが、この会は本当に楽しかった。

歌と踊りができる人は結構バリバリ踊ってて、自分たちみたいにあまりできない人は手拍子をして参加していた。レッスンで手拍子やったり踊りやったりしたこともあって、正確な手拍子のやり方を知らなくても、コンパスに合わせて各々自由に手拍子しているのがとても楽しい。歌も踊りもギターも分からなくても、何となくリズムを合わせて、一緒に参加できるところにフラメンコの魅力を感じた。

ギター歴近い人とも知り合えたし、本当に行ってよかった。

フラメンコギターを持ちながら、フラメンコをちゃんと見たこともやったこともなかったんだけど、この一日で楽しさを知れたように思う。

今のところは、自分が好きな音楽を練習してるけど、そっちの方がひと段落したら本格的にフラメンコを習ってみたいと思った日だった。