沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

テイルズオブアライズ 感想 ネタバレあり

テイルズシリーズの新規マザーシップタイトルがついに発売された。

 

テイルズシリーズと言えばファイナルファンタジードラゴンクエストと肩を並べるJRPGの代表シリーズだ。

 

正直に言うとこの中でまともにプレイしたことがあるのはテイルズシリーズしかない。
デスティニー2からテイルズに触り、折に触れてテイルズをやってきた身としては感慨深い。

 

2019年のE3で発表されたアライズはそれまでのシリーズとは一線を画したリアル調の作風になっており、プロデューサーが語った“継承と進化”を感じさせられ、久しぶりにワクワクしたことを覚えている。

 

とはいえ、私が最後に触ったテイルズはエクシリアでもう10年も前のことだ。

エクシリアがあまり肌に合わず、その後のシリーズはしばらく様子見するようにしていたら、ゼスティリアの炎上騒ぎがあり、余計に足が遠ざかっていた。気づいたら10年もシリーズに触らずに来ていた。

 

お久しぶりのテイルズをクリアできたので、感想を残してみたい。

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あらすじ

自然あふれる豊かな大地に覆われた星・ダナは隣り合うもうひとつの星・レナのことを「死者が住まう地」として崇めていた。

300年前、ダナはレナから突然の侵攻を受ける。科学や魔法が発達したレナに対し、科学力はほとんどなく魔法も使えないダナは圧倒的な力の差で敗北し、ダナの人々はレナによる終わりなき隷属を強いられることになる。

ある日、ダナの青年・アルフェンは同族から追われるレナの少女・シオンと出会う。痛みを失ったダナの青年と他者に痛みをもたらすレナの少女の思いがけない邂逅は、ふたつの星の運命を揺るがす物語の始まりに過ぎなかった。

Wikipedia

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仮面が外れないアルフェン。飯食いにくそう。

■ストーリー・キャラクター面

感想を述べるにあたって、まず一言言いたい。

はあああああーーーー!!! 末永く爆発しろ!!!!

 

これはストーリーを完結させた人ならどこかで感じたことなのではないだろうか。

 

今作、主人公:アルフェンとヒロイン:シオンの恋愛要素がシリーズ中でも色濃く出ていたように思う。

これまでも主人公とヒロインの恋愛的要素はずっとあったけど、今作はそれにも増して甘々な気がする。個人的には好き。

 

「痛みを感じない男と、触ると痛い女」ということで出会った段階で相性抜群の2人。

それぞれの目的のために一緒に旅をするようになるが、旅の中で仲間として絆を紡ぎ、お互いを信頼しあうようになる。この流れが最高なのよ。

特にシオンは優しさを秘めているけど、自分に触ると激痛を与えてしまうから、誰とも仲良くなどできず、人を遠ざけてきていた。そんな中でも自分を仲間とか友達とか言ってくれる人ができてくる。この流れはとてもいい。

 

その他のパーティメンバーもそれぞれ、自分とは異なるところが多い者同士で旅をすることになるけれど、旅が続くに連れてそれぞれを認め合っていく描写がある。

今作のテーマとして「壁を壊す」という言葉が随所に出てくるが、種族や生まれや能力の壁を壊し、仲間として認め合っていくのはRPGの醍醐味の一つだ。

 

ただ、もうちょい癖の強いキャラがいてもいいなーとは思った。大体みんなまともな年ごろの男女って感じで、尖りまくったキャラがいないかな。
極端におっさん、お爺さんというキャラもいないし、動物もいないし、裏切り者もいないし、独立独歩のキャラがいないという点では少々寂しい気もした。

 

それからストーリーの起伏という点でも少々物足りなさを感じた。

物語が進むにつれて、レナの真実や世界の危機といったものが明かされていくのだが、いかんせん仲間内で物事が閉じている印象を受けた。

例えば世界が危機に瀕したときに、それまで助けてきた国とかが共同戦線張って助けてくれるということがなく、後半のダナ側は空気になっていたように感じる。

支配者である領主を倒すまでは色々関わりあうんだが、領主を倒した後はあまり関わることがなく、世界の危機となってもおろおろしているばかりな印象を受けた。

 

まあ、舞台が惑星間という大きなものになっていくので、やることないと言えばそうなんだが、どうもここ一番で胸を熱くするような世界を巻き込んだダイナミックな展開は乏しく感じられた。

 

あと、ヴォルラーンが面白かった。

今作の変態ストーカー枠であるヴォルラーンだが、氷の玉座に腰を悪くしそうな姿勢で座ってたり、主人公らに執着してどこまでも追ってきたり、見ようによっては可愛いくも思えてくる。

戦闘でも主人公にヘイトが滅茶苦茶向いてて、ステージの外周を逃げ回ってる自分にとことこ付いてくるのが面白かった。

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変態ストーカー ヴォルラーン。シオンを自分好みの衣装に着せ替えさせたりもした

■顔表現の進化

キャラクター造詣の作風が変わったことで繊細な顔の表現が可能になっているように思う。

これまでの作風はアニメ調で、喜怒哀楽が分かりやすい漫画的な表現が多かった。

対して今作はリアル調になったことで、喜怒哀楽の繊細な感情の表現ができており、微妙な感情の揺れ動きも感じられて面白い。

 

■ビジュアルの進化

公式でも言及されている通り、リアルとも違う独特の空気感のビジュアルだった。

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絵画的なビジュアル

■戦闘面

全体を通してちょうどよい緊張感のある戦闘ができた。敵はそこそこ固いが、術技はすぐにゲージが回復して出すことができるため、スピード感を感じられる。

ある程度削った状態でコンボを決めれば、敵を一撃で倒せる技も出せるので、いかにコンボを決めていくのか考えるのも楽しい。

 

ただ、回復アイテムであるグミ系が過去作と比べてとてつもなく高く設定されている。

特に回復に必要なCPを回復させるグミはとんでもなく、CP30パーセント回復のレモングミは1個3,000ガルドもする。大体のクエストの報酬が1万ガルド以下なので、3つも消費したらそれだけでほとんど利益なしになる。

 

そのためCP消費が重い蘇生魔法のレイズデッドは使用不可にして、ライフボトル(1個1000ガルド)だけで蘇生するようにしていた。こんなことはシリーズで初めてだったのでなかなか衝撃的だった。

 


 

こんなところかな。

 

少々パンチが弱く感じられたところもあったけど、戦闘は爽快だし、レベルデザインもノーマルで簡単すぎず難しすぎずちょうどいい緊張感を持てた。

 

テイルズらしさと新しさが同居した“継承と進化”の名に違わない新しいテイルズとして面白いゲームだった。

出荷本数的にもいいペースで出てるみたいだし、今後のテイルズにも期待したい。

自分がRPGできる時間があればだけどな!

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お気に入りシーン



 

幻影の夏を見つけた話

以前、こんな話を書いた。

numamemo.hatenablog.jp

 

オタクの心にある架空の夏―幻影の夏―に行きたいけど、どうすればいいのか分からねええええ!!という話をしていたのだが、なんとなーく「これかも…」と思えるようなことがあったので書いてみる。

 

さて、今回例のごとくどこかへ行きたい衝動に駆られ、あいち健康の森公園にやってきた。

フラフラドライブしていて偶然見つけた公園だったけど、駐車場無料で広いし、公園自体も広くて設備も整ってるし、いい公園だった。

 

さて、この公園の中に体育館があった。

散策しながら近くを通りかかったところ、どうやら中学生だか高校生くらいの子たちがバスケットボールを使った何らかのゲームをしているようで、ドリブルの音と時折歓声が聞こえてくる。

ふと心に何か感じるところがあって、足を止めてその光景を眺めてみる。

 

体育館の電気が中の熱気に呼応するようにきらびやかに灯っている。

対して体育館の周囲は、日は沈みかけ夕闇が迫り、虫の音が涼しげに響いている。少し肌寒くも感じる秋の気配が体育館とは対照的だ。

 

彼らはこのゲームが終わったら家路につくのだろうか。

多分一緒にゲームしていた友人たちと世間話や次の予定を話しながら、体育館の明かりを消し、夕闇の中を家に帰っていくのだろう。

そう思っていると、不意に物悲しい気分になった。

 

自分にとって、それは永遠に失われた光景のように感じるのだ。

 

それと同時に、これこそが自分の求めていた「幻影の夏」(季節的にはもう秋だが)のようにも思えた。

 

この感じ。物悲しく、胸が締め付けられるような、そんな記憶はないはずなのに郷愁を誘われるような感覚はまさにオタクの心にある架空の夏を感じた時と同じ感覚だった。

 

ふと気づく。

幻影は現実にないから行くことはできないって思ってたけど、幻影は現実と自分の認識が組み合わさって、そこに浮かび上がってくるものなのかもしれない。

 

秋風や虫の音、夕暮れという時間、中の明るさと外の暗さのコントラスト。

そういった現実のあれこれは幻影そのものではないけれど、現実の色々なものが編み合わさった布に私が触れることで、ここに幻影が出てくるようなイメージ。

 

幻影はどこかにあるものではなく、そこにあるものに自分が触れることで浮かび上がってくるものなのかもしれない。

 

だから、幻影を探しにどこかへ行くというアプローチよりも、身近にあるものから幻影を浮かび上がらせられるように、自分の感覚を研ぎ澄ますことの方が重要なのかもしれん。

 

幻影の正体が分かったことで、今までよりは身近な場所から幻影を見ることができそうな気がする。

 

それこそ自分の部屋の中から通勤の行き帰りの時でも、ハッとするような青空からふさぎ込みたくなるような雨空でも、そこにある幻影を積極的に捉えていければよいな。

 

 

私と仏教

私は仏教が結構好きだ。世界の観方とかが自分の感性に合っているように思う。

 

ブログの種として、現時点での私なりの仏教の観方を記しておくのも面白いかもしれない。


 

前提

私がここで言っている仏教というのは飲茶著「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」や魚川祐司著「仏教思想のゼロポイント」を主な基盤としているものだ。

あくまで解説書を見て書いているものであり、自分の解釈が間違っている可能性も多分にある。これが仏教ですなどとは口が裂けても言えないが、現時点での自分の理解度がこの程度ですくらいの空気感で書いてみる。

 

また、私が多少なりとも知っているのは釈迦が説いたとされる原始仏教のさわりと、親鸞浄土真宗)や道元曹洞宗)の仏教をほんの少しだけ。

現在の上座部の教えがどうかとか、大乗にしても各宗派のことなどさっぱり知らない。その辺も一応断りを入れておく。

 

さて、まず最初に書いておきたいのは、私は別に仏教徒ではないということだ。

もちろん身内が亡くなったらお坊さん呼んでお経を唱えてもらうことになるだろうが、それはそういうシステムだからであり、仏教に帰依しているとかそんなことは全くない。まずうちがどの宗派に属しているかも知らないし。

 

また仏教を知りたいと思っているけど、仏教学者みたいに各宗派の比較だとか歴史を研究する気もない。

出家して修行する気もさらさらない。

私にとって仏教はあくまで娑婆世界で生きやすくなるための知恵の一つだ。

 

仏教との出会い

私が仏教を仏教として認識したのは大学時代。史上最強の哲学入門に出会った時だった。

それまでの自分は仏教や僧侶というのはフィクション上の知識しかなかった。せいぜい現実の仏教のイメージと言えば葬式の時に意味不明な言葉を延々と語る人みたいなものだった。

ただ、マンガで最遊記の三蔵は好きだったので、フィクション上では何となくかっこいいイメージを抱いていてた。殺仏殺祖や無一物の言葉も覚えたのは最遊記からだったな。

 

さて、大学時代に史上最強の哲学入門を読んだときに、私はひどく衝撃を受け、視界がパーッと開いたような気持になった。

当時、私はアイデンティティ難民みたいな感じだった。何物にもなれないとかネットの一部界隈でよく言われているあれである。

 

教師という存在がトラウマみたいになっていて、教師に怒られたくないからぼちぼちと勉強してきたけど、高校の後半くらいから教師が怖くなくなってしまったからか、以前ほど勉強することもなく、かといって何かやりたいことがあるわけでも、特段何かできるわけでもなく、あまりに自分が俗物でつまらない存在だと感じていた。

 

そんな時に、史上最強の哲学入門に書かれていた仏教の世界観を知り、「何者もなにも、そもそも自分なんて認識できないよ」ということが私に衝撃を与えた(これ自体は正確に言えば仏教以前のウパニシャッド哲学のものであるが)。

私とは「認識するもの」である。「認識するもの」は認識できない。だから私は認識できない。

だから、私は生まれないし死にもしない。男でもないし女でもない。陰キャでもなければ陽キャでもない。コンプレックスもなければステータスもない。本質的に私はない(有るのでもないし、無いのでもない)。

あらゆるものは空であり実体はない。

 

「ああ、そうか。私なんていないのだ」。

私という存在に苦しんでいた自分にとっては、それはまさに光明のように思えた。

その後、その考えに傾倒した結果、大学時代の黒歴史を作り出していくことになるのだが、そこはご愛嬌ということで。

 

現実の問題に対応するための仏教

さてさて、ここで幸せに暮らしました。めでたしめでたしとなればよかったが、当然そんなことはなかった。

 

いくら本質的に私は無いといったって、一時は気持ちが前向くかもしれないが、結局現実的には何も変わらないのだ。

 

相変わらず自分にできることなんて何もないし、何もしていないのに失敗しかしていないような気分だし、かといってそれでいいのだなんて開き直れないし。

 

私は生きてるし、男だし、陰キャだし、コンプレックスまみれの俗物なのだ。

 

そんなわけで、仏教に一筋の安らぎを見ながらも、結局どうにもならない現実に引きずられるようにもやもやを抱え、就職してから忙しさもあり、しばらく仏教からは離れていた。

 

その後、仕事にも慣れてきたころに、プラユキ・ナラテボー、魚川祐司著「悟らなくたっていいじゃないか」を読む機会があり、現実的な問題に対応するための仏教の智慧という側面から改めて仏教に接してみることにした。

プラユキ氏の著書は現実の問題に対応するための仏教の使い方を書いたものが多く、とても参考になっている。

 

書籍を読む

その他、大乗仏教の代表として親鸞とかも少しかじってみたんだけど、私にとっては阿弥陀様の力を疑いなく信じるという態度がどうにも難しいように感じた。
鎌倉時代ならともかく、現代で仏さまを完全に信じることは少なくとも私には不可能に思える。
死んだら体が腐って終わりと考えている人間にとって、今更仏様の加護を信じなさいなんて考えられるわけねーだろってことでして。

 

対して道元は「ただ座れ」と言う。こちらについても多少の書籍は読んだけど、ただ座っていないので正直分かっていない。ただ座ることが難しい。正法眼蔵も読んでみようかと思ったけど、想像していたより滅茶苦茶長そうで、一旦保留にした。

ただ禅宗の考え方はやはり面白い。というか禅僧のエピソードが面白いなと思う。

有名どころでは、一休さんが正月にどくろを担いで練り歩いたとか、壺の中のガチョウの禅語とか、話を聞けばなるほどねーと思うようなものが多い。

なお、なるほどねーと思っているのでは禅問答の意味がないのであまりよい態度ではないが、まあ修行しているわけでもないからいいだろう。

 

他にも僧侶になった人の自伝みたいなものも読んだりした。現代の僧侶が何を思って出家したのかとか、現実の問題に対応する仏教の視点で参考になる。

しかし、結局のところ人様の中での仏教であり、私自身の問題とはやはり別物だ。

面白く、参考にはなっても、私の問題を解決するものでは当然ない。私は私自身の仏教を探し続けるしかないのだろう。

 

今のところ書けるのはこんなところかな。

本当に仏教を知りたいのであれば何はともあれ修行をするのがいいのだろうけど、自分としてはそこまでやる気はやはり無い。今のところはこれでいいのだろうと思っている。

 

デビルマン(実写版)感想

先日のFCイベントでコンさんが一押しのクソ映画としてデビルマン(実写版)を上げていたので、この度有志を募ってデビルマン同時鑑賞会を行った。

参加者は私、コンさん、白夜さん、ルイさん、マーチさん。

どんな風になるのか不安だったが、思ったよりワイワイしながら観ることができてとても楽しい時間だった。

 

さて、私は原作未読ながら、ネットで有名なところとかは部分的に知っているくらいの事前知識だ。
以下の感想は、ほぼ映画から受けた印象のみとなる。

 

結論から言うと、巷で言われているほどにはひどい出来とは思わなかったかな。

確かに冷静になって一人で観てみると、何で?と思ったり、場面が唐突に変わるところはたくさんあるし、アイツ結局どうなったの?ってことも多い。

 

ただまあ、大筋の流れはなんとなく頭の中で補足しながら追うことはできたし、デーモンに成り果て、デーモン化した人間を殺してしまう悲しさ。その後も人間として、デビルマンとして戦っていく覚悟を決める哀愁は感じられた。

この辺の悲しさは初代仮面ライダーを彷彿とさせる。

原作は流石に名作と呼ばれるだけのものであり、そのエッセンスがあるだけでも初見としては面白い部分はあるように思えた。

以下ネタバレあり。

 


 

 主人公の棒演技

 冒頭の語りから何とも活舌の悪さが垣間見える主人公。

 全体を通して、あまり声に張りがなく、気になったのは戦闘シーン。

攻撃する時も「ウアー…、グアー…」、攻撃されても「ウアー…、グオー…」、瀕死になっても「ウアー…、グウー…」

…もっと気合を入れろ!!!

 

 極めつけは養父にデーモンとばれた時の反応な。何だあの「アアアアーーーー…」は。ばれた時の反応にしても違和感あったし、原作ではどうだったのか気になる場面だった。

 

CG表現

結構CGはよくできてたように感じた。いうて専門家でも何でもないからクオリティ云々は全然分からないだけど、シレーヌ戦とかは音声消して観たら、結構見ごたえあったと思う。

それ以外でも、ちゃんとデビルマンに変化した戦闘シーンは演技以外は迫力あったように感じる。戦闘シーンで漫画調の画面が入るのも面白い仕掛けだった。

 

クソみたいな人間ども

デーモンは人間に寄生して増殖するらしく、デーモンの被害が拡大するにつれ、デーモンの疑いがかけられた人は即刻拘束、抵抗したら射殺させられる法案が通る。

疑いだけで人をどうこうできるようになったらお約束。気に入らない人間を密告して拘束させる魔女狩りならぬデーモン狩りが横行する。果ては目についた人間を見境なくデーモン認定し、市民同士が殺しあう世紀末状態にまで発展する。

その際の虐殺描写は、ルワンダで起こったジェノサイドを思い起こさせた。デビルマンでは「デーモンを殺せ」だったが、ルワンダでは「ゴキブリを殺せ」だったかな。条件が重なりさえすれば、現実にだって「デーモンを殺せ」は起こりうるのだろうな。

 

 何かサタンは人間同士で殺しあうのが予想外って言ってたけど、ちゃんと歴史履修した?  人間同士の殺戮とかちょっと調べればいくらでも事例は出てくると思うんだけど…。

 

まあ、後半はそんな描写が結構出てくるもんだから、終盤でミーコが自分たちを殺そうとする人間に「私たちじゃない。悪魔はお前たちだ!」と言い放って反撃した時は、そうだそうだ!、よう言った!と応援してしまった。

その時、瀕死の人間が力を振り絞って銃を撃とうとするけど、きっちりそれを察知して止めを刺したところは詰めの甘さを感じさせず個人的に高評価だった。

 


 

そんなわけで、みんなで見る分にはワイワイできて面白い映画だと思ったよ。

 そうでなくても、何となく補完しながらでもストーリーがありそうに感じるので、あり得ないほどやばいとも感じなかったかも。

 個人的にはデビルシャークの1時間の無よりかは何かを得られそうな気がする映画でした。

「成長」という言葉があまり好きでない話

ただただ、自分の勝手なこだわりを話す記事です。

 

「何が嫌いかより 何が好きかで 自分を語れよ!!!」とルフィが言ってるコマを見るたび、うるせえー!、嫌いなもん主張して何が悪いんだー!と感じてしまうヌマでございます。

 

とりあえず訂正として、これルフィのセリフじゃないらしいですね。ここに書く過程で調べてたら、あのコマはコラ画像らしい。ワンピース読んでないから普通に間違えていたよ…。

 

あと、元ネタの前後の文脈とかもよく分かってないので、全く見当はずれのことを感じている可能性も高いというね。

 

それはそれとして、私があまり好きでない言葉で「成長した」というのがあります。成長以外にも成熟した、進歩したとかもあまり好きじゃないかな。

例えば、人と話すことが苦手だった人が仕事を通じてある程度話せるようになったり、事務仕事でケアレスミスばかりしていたのが、だんだんミスが少なくなった時に、人から成長したねって言われることがあると思う。

 

少し抽象的に言えば、向社会的なスキルを身に着けたと感じられたときに成長したねって言われるんだと思う。

 

それ自体は褒められてるんだし、うれしいんだよ。

 

ただ、なんかさ、言ってる方は絶対にそんなこと思ってないと思うんだけど、成長という言葉に「人間として正しくなったね」って意味合いが含まれているような気分になるのよ。

 

人間としての正しさ(≒社会的な正しさ)っていうのがあって、それに向かっていることを成長するって言葉で表現しているような感じ。

 

そりゃ確かに向社会的な行動をとれるようになるのは、社会の側としてはうれしいことだと思うよ。でもさ、本質的に人間に正解・不正解、良い・悪いがあるわけじゃないじゃん。

雨が降って、川に流れて、海に流れて、雲になって、また雨が降る。こういう自然の移り変わりと同じように人間もその流れの中にあるわけで、それ自体に良い・悪いは無いと私は思ってて。

 

だから、話すことが苦手だった人がある程度話せるようになったとしても、雨が降って川に流れるようなもので、それに対してなんかプラスでもマイナスでもあまり評価の意味合いを持たせたくないなーと個人的に考えている。

だって、人と話せないのがダメかどうかって、結局今の社会情勢があるからそうなのであって、今後何らかの形で社会制度が変わったら話せない方がいいようになるかもしれないじゃん。

 

知らんけど。

 

これは完全に私側の問題というかこだわりというかなので、他の人は全然言ってもらっていいんだけど、自分が後輩へ何かフィードバックするなら、具体的に行動の変化を言おうかと考えている。

話せる時間が増えた、話す内容が増えた、ミスの数が減った、ミスをカバーできるようになったとか。これなら評価的な意味合いを薄めて、単に数値的な変化だけを伝えられるかなー。

 

上の立場から下の立場へフィードバックするという構造上、評価の意味合いを0にすることはできないだろうけど、できるだけ評価の意味合いの少ない言葉を使いたいなー。

 

 

 

8/21 FCイベント なんでもプレゼン会

超久しぶりのFF14記事。

イベントごと以外であまりやっておらず、ぼちぼち書いていきたい。

 

今回のFCイベントでは何でもプレゼン会を実施した。文字通り特にジャンルを限定せずに、自分の好きなことやお薦めしたいものを発表するものだ。
先月にイベント案50個出すという企画(?)をやったときに出たものの一つで、ビブリオバトルみたいなことやると面白そうということでやってみた。

 

発表内容は以下の通り。
1. ニアさん スキューバダイビング
2. マーチさん 水瀬ケンイチ「お金は寝かして増やしなさい」
3. ルナさん 山口つばさ「ブルーピリオド」
4. ヌマ 辻村深月かがみの孤城
5. コンさん 実写版デビルマン
6. サンボさん クラウドファンディング
7. 白夜さん アンジェリーク
8. ルイさん 水上悟志惑星のさみだれ

 

企画を考えた時当初は、「これ発表者が1人2人しかいなかったらどうしようかな…」と思っていたのだが、ふたを開けてみたら飛び入り参加で発表してくれる人も出てきて、全くの杞憂に終わってよかったよ。

 

結局全部終えた時には開始から2時間経っており、ここ最近のFCイベントの中では最もボリュームのあるものとなりとても安心しました。

 

また発表時間も1人当たり3~5分くらいになるかなーって思ってたら、10~15分話してもらえる人もいて、思っていた以上に話してもらえるイメージでした。

 

自分の場合だと、事前にマクロを作って発表したんだけど、それだと考えてたとおり5分程度で終わってしまい、聞き手の反応に無関係で進んでいくので、少し物足りない気分だった。手打ちで打ち込んでたほうが、結構盛り上がってた印象がある。

 

個々人のタイピング速度にもよるが、事前準備した文章を手打ちでやりながら、聞き手の反応を引き出しながらやるのが一番いいのかなーと思ったりした。

 

あと、「何でも」と言ってはいたけど、当初はビブリオバトルって言ってたし、ゲーム内チャットの発表だから本の紹介に限られてくるかなーと思ってたけど、ニアさんはツイッター使って写真を見せてからスキューバダイビングの魅力を発表してて、初っ端からハードルがぐんぐん上がってて面白かった。ダイビング行ってみてーな。

 

マーチさんは飛び入り参加だったけど、普通にスムーズに発表しててすごかったな。内容は投資に関する本の紹介。自分もある程度勉強したほうがいいかなーと思えた。

 

ルナさんは、ブルーピリオドという漫画の紹介。アート系スポ根漫画で秋にはアニメも始まる作品らしい。美術系はあまり履修していないので興味深かった。

 

私が発表したのは、かがみの孤城不登校の子供たちが少し不思議な城に行って、人間人間するお話。

 

コンさんは、実写版デビルマンの紹介。日本一のクソ映画で、これを見ればほとんどの映画はいい評価になるとのこと。こちらは後日、有志で同時視聴会する予定。

 

サンボさんは、クラウドファンディングの魅力紹介。私も何度かクラファンでお金出したことはありましたが、ライブハウスへの支援とかは全く発想になかったので面白かった。

 

白夜さんは、アンジェリークの紹介。コーエーが出している乙女ゲームで、最近スイッチで最新作が出たらしい。調べたら公式サイトの導線がいいなーと思った。ゲームの公式サイトで「初めての方はこちら」って案内が初めに出てるのは好印象だった。

 

ルイさんは、惑星のさみだれという漫画の紹介。バトル漫画みたいで、結構評判がいいらしい。完結済みで10巻というちょうどよい長さみたいなので、漫喫あたりで読んでみようかな。

 

以上、思った以上に面白い企画になった。まだ話し足りないという人もいたので、少し経ったらまた第二弾をやってもいいかもな。

ショートショートをやってみる

ツイッターでたまたま以下の記事を見つけて、面白そうだったので、基礎編だけ見てちょっとショートショート作ってみた。本来はnoteの企画だけど、noteのアカウント持ってないのでこちらで投稿する。

note.com

 

危険の見える海

 度重なる水難事故を受け、海ではAR技術を用いて、事故があった場所にバツ印が出てきて、事故の内容や事故原因が表示されるようになった。これによって危険な場所や危険な行動が可視化され、水難事故は劇的に減っていった。

 その一方、あまりに多くの人がバツ印のある場所を避けることにより、ある程度の危険を伴う挑戦をしなくなる人が多くなるのではないかと懸念する人もいた。また、人間でないシステムに自分の行動が操られるような嫌悪感を持つ人もいた。そういった人たちはあえてAR機能を切って、気にしないように振舞っていた。

 そういったあえて危険な場所に行く人々を愚かな人物としてSNSに投稿して、いいねを稼ぐのが私の密かな趣味だ。

 

今回はゲームからソウルライクなイメージを浮かべて、それを海と組み合わせてソウルシリーズみたいに事故があった場所やメッセージが見えるようになったらどうなるかなと考えて作ってみた。

 

今回の講座では発想法に重点を置いて解説しており、アイデアの生み出し方がとても参考になった。

またとりあえず思いついた組み合わせで、ともかく書いてみる姿勢が、最近読んだライティングの哲学にも通じるところがあったので、ちょうどよいタイミングでちょうどよい動画が見られてよかった。