沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

読書感想文「マカン・マラン」

最近は電子書籍で本を買うことも多いのだが、大きな書店とかに行くとふらふらと紙の本を見て回ることもまだまだある。

先日、買い物のついでに本屋を廻っていたところ、平積みにされていた本が目に入った。落ち着いた濃紺の地に美味しそうなスープが描かれた表紙。それが「マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ」だった。

瞬時に「行ってみて~」と思った。

こんな美味そうなスープがある二十三時の夜食カフェである。行きたくない人などいるんかってくらい行ってみてー。

そんなわけでどんな物語なのか気になり、完全に表紙買いで買ってきた。紙の本は、こういう偶然の出会いがあるから面白い。

なお、マカン・マランシリーズは全4巻だが、今回の感想文は1巻を読んだ段階での感想となる。

www.chuko.co.jp

 

マカン・マランはとある商店街の路地裏にある夜だけ営業する夜食カフェ。店主はドラァグクイーンのシャール。様々な悩みを持つ人がこの店に集まり、シャールと出会って変化していくというのが大まかなあらすじ。

 

正直なところ、全4話のうち3話まではNot for meかな~と感じていた。というのも、物語全体がなんだか造り物感が強いように感じてしまったからだ。

1話毎に悩みを抱えた主人公が登場するのだが、その悩みが一般的というか、分かりやすくて共感しやすい悩みなのである。1話では仕事一筋だが、早期退職の憂き目に合うかもしれない女性。2話では親と担当教師に挟まれつつ、気難しい子供とやり取りする教師。3話ではクライアントに振り回されるばかりで望まないような記事を書き続ける下請けライター。それぞれに悩みがあったり、自己嫌悪したり、求めるものがあるものの、いずれも「ああ、そんな人いそう」だと思えてしまう。

悩みや求めるものを設定して、それを得るために苦しませたり行動させたりするのは物語の基本のキではあろうが、それがあまりに分かりやすすぎて、何だか造り物を見せられているような感覚がある。「ほら、こんな悩みを持った人がこんな非日常的なカフェで、個性的な店主と出会って幸せになっていくのって素敵でしょう!?」と眼の前で言われているような感覚。そりゃ確かに良いは良いが、予定調和すぎて白々しさを若干感じてしまった。

この辺は自分が年食って、感性が落ちているというのもあるかもしれんけどね。

 

しかし、最後の4話はぐっと物語の中に入れた。なんでだろう?と考えたものの、明確な理由は結局よく分からなかった。

ただ、シャールがどうにもならない流れの中で、なお何かを残そうと動くのが気に入っている。それから4話の主人公であり、シャールの店で針子をしている妹分のジャダの「この世の理不尽を作っているのは、楽して生きていきたい俺たち自身だ」って言葉も好き。やっぱりシャール自身を深掘りするような話になってたから、造り物感があまりなかったのだろうか。

あと、各話の主人公が最終話で集合してくるのベタだけどやっぱり好きだな。

 

結局のところ、諸々を経て、問題が解決して大団円みたいな物語自体は好きなんだよな。BADENDはノーサンキュー。ただ、分かりやすくて共感しやすい悩みばかりだと、どうにもスンッと冷静になってしまう。全く理解できず、考えるだけで嫌悪感を覚えるような悩みを持った人が出てきたらどうなるんだろうと考える。

ここで、「正欲」の登場人物たちがシャールとあったらどうなるだろうと妄想してみる。私はこういうクロスオーバー的な妄想が大好きなのだ。

水に欲情することを隠し続け、普通の世間から排斥されないように生きてきたあの人達がシャールと出会ったら、少しは楽になったのだろうか? 又は「聖なるズー」で登場したズーフィリアの人たちはどうだろう。動物と性交し、動物の性も含めて愛しているがゆえに世間から理解され難い彼ら彼女らがシャールと出会ったら、どんな言葉をかけるのだろうか?

妄想しようとしたけど、なかなかシャールの像が浮かばない。これを妄想するためにはもう少しシャールのことを知る必要がありそうだ。というわけで残りの3巻分を買って読んでみようと思う。

残りの3巻で感想が変わるのか変わらないのか検証してみたい。

B級スポットと聖地巡礼(岡山・香川旅行)

8月のバカ暑い中、私とコンさんは夕暮れの山の中でヒーヒー言いながら急な坂を登っていた。この3日間の旅行は上下の移動が随分と多かったが、しんどさで言えば吉岡銅山跡に行く坂が一番きつかった。

 

  • 1日目

コンさんと会うきっかけは朝にまで遡る。レンタカー会社の前で私は途方にくれていた。白夜さんがたまに投稿する岡山情報に惹かれ、岡山・香川と2泊3日で旅行する予定だったものの、色々トラブルが有り、レンタカーを借りられなくなってしまっていた。

どうすっかなーと思いながら、事前に観光場所の相談をしていたコンさん・白夜さんに状況を伝えたところ、ありがたいことにコンさんが車を出してくれることになったのだった。

 

コンさんとは午後に合流するとして、午前中は倉敷で過ごした。

古い街並みが綺麗な場所だ。細い路地も多くて興奮する。ふらふらと脇道に入って小さな庭のようなスペースに入るのがとても好き。平日の日中だったが、夏休み中の学生なのか結構人が多くて賑わっていた。

少し路地を入ると、こんな空間が広がっていて楽しい。


とりあえず向かったのは桃太郎のからくり博物館。だまし絵とか桃太郎に関する資料とかが展示されている施設だ。

店の前の桃太郎像がいい味を出している。

愛知県は犬山の桃太郎像をみたことがことがあったが、それに勝るとも劣らない風情であった。

中に入ると店員のお姉さんがだまし絵の説明とかをしてくれる。なかなかサービス精神旺盛で、写真を撮ってもらったりもした。最後には鬼ヶ島の洞窟探検なるものがあり、要するにお化け屋敷だ。お化け屋敷があることは事前に知っていたが、まあまあ怖くて、冷や汗をかきながら進んだのだった。

終わり際には幸運にも館長のちくわ笛の演奏を聞くことができた。ちくわ笛とはそのままちくわをくり抜いて作った笛である。プラスチックとかではなく正真正銘の食べられるちくわだった(実際途中でちょっとかじってた)。

 

にわかには信じがたかったが、どうやら本当にちくわで音を奏でることができるらしい。確かに穴はあるから構造としては笛になるだろうけど、どうやって吹くんだろうか…? その後、さらにレンコンを使ったレンコン笛も披露され、器用さに感嘆するしかなかった。

 

その後は街並みを見ながらふらふらして、倉敷のメインにしていたアフタヌーンティーをいただくために、カフェキャスケードに向かう。新しめの綺麗な店で藤の花が印象的だった。

食べたことのないような面白い食べ物が色々出てきて、アフタヌーンティーの食べ方に困惑しつつ、美味しくいただきました。

 

その後無事コンさんと合流し、挨拶もそこそこにおすすめスポット巡りへ出発した。

はじめに向かった先は羽山第2トンネル。鍾乳洞をそのままくり抜いてできたトンネルが特徴の場所だった。鍾乳石がむき出しのトンネル内も面白いが、外観がなかなか壮大で見ごたえがある。クライミングで登ることもあるらしい。

またトンネルの脇には自然にできた鍾乳洞もあり、装備さえあれば中を探検することもできそうだった。今回は装備を何も持っていないのでさすがに断念。スマホの明かりでは1m先も照らせなかったわ。

 

穴が奥まで続いている。

少しだけ入って、夜景モードで撮影した写真

 

次に向かったのは吉岡銅山跡。名前の通り閉山した銅鉱山で今は産業遺構として整備されている。かつての建物や施設跡はある程度草が刈られて見やすくなっているが、それ以外は草が生い茂っており、「兵どもが夢の跡」といった趣があった。

人が自分たち以外誰もいなかったのも雰囲気的に良かった。一応遺構として整備されているはずだが、まじで人っ子一人いない。羽山トンネルの方は観光目的っぽい人がまあまあ訪れていたので、少しくらい人が来ないかと思ったが、誰とも会うことがなかった。

所々に咲いている花が綺麗だった。

 

最後に吹屋ふるさと村へ向かった。古い街並みが特徴で、奥に古い小学校の校舎があっていとおかし。開放時間が過ぎてて中には入れなかったが、外観だけでも見れてよかった。

特徴的な街並み。カレー屋とかがあったから、営業してたら食いたかったな。

歴史を感じさせる校舎

 

ふるさと村を出たところでだいぶいい時間になっていたため、夕食でとんぺいというラーメン屋に入った。外観は素朴ながらラーメンはとても美味い。今までの人生の中で五指に入るいいお店だった。

 

帰りは白夜さんと合流して宿近くの駅まで送ってもらった。アルフォンシアちゃんとも会えて、めちゃくちゃ可愛かった。コンさんたちと前会ったのが2年以上前で、随分久しぶりだったので、思いがけず会えて良かったな。

 

  • 2日目

ここからは電車とバスと自分の足(とたまにタクシー)が頼りの旅になる。学生に戻った気分で、宿を出てすぐに瀬戸大橋線で四国に渡った。当初はうどん食べて金刀比羅宮行くかーくらいの感じだったけど、「そういえばゆゆゆ(結城友奈は勇者である)の聖地があるじゃん!」と思い立ち、香川県観音寺市へと向かった。

アニメに出てきた橋とか神社とか、それ以外にも有名な寛永通宝の砂絵などを見てきた。ちょうどゆゆゆのスタンプラリーが開催されており、同族らしき人たちもチラホラと見受けられた。

どうしてアニメで出てきた場所を見たくなるのだろうな


休憩に入った店に置いてあったうちわ

 

この日行った中でも一番良かったのが、天空の鳥居とも呼ばれる高屋神社。標高404メートルの山の上にある神社で、頂上からはまさに絶景が広がっていた。頂上まではシャトルバスが出ており、麓から登らなくても結構手軽に頂上まで行くことができた。3日目も山に登る予定だったので、ここはさすがにシャトルバスを使った。

崖際に立っているように見える鳥居

こんな感じの景色が見える。

 

高屋神社は、ゆゆゆでは主人公が悲壮な決意をするシーンで使われた場所だ。観たのはもう大分前になるが、そのシーンを思い起こすことができた。

あと、神社へ行って楽しみなのが、かかっている絵馬を見ることだったりする。こちらはゆゆゆの聖地であることもあり、アニメ絵が書かれた痛絵馬もそこそこあった。また、古い絵馬には住所どころか連絡先まで書いてあるものがあり、時代を感じる。なんのために連絡先まで書いてたんだろう…?

 

その後、舞台となったうどん屋つるやさんでうどんを食べ、父母ヶ浜へタクシーで向かった。

父母ヶ浜は干潮時に潮溜まりができて、ウユニ塩湖のような風景が撮れることで有名なスポット。ただし、今回は満潮であったため、そういった写真は撮れなかった。夕日でも撮れるかと思って行ったが、天候も曇りであまり綺麗な風景は撮れなかったが、久しぶりに海に行けて夏気分を味わった。

夕方の海辺

バスの時間まで大分あったので、海近くの店で食べたガレット。美味かった。

 

この後、金刀比羅宮近くの宿についた頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。確か22時近くだったと思うが、近くで大規模なフェスがあったらしく時間の割には人で賑わっていた。

今回の宿は金刀比羅宮近くの宿である敷島館(公式サイト)。少し奮発してリゾートホテル的な旅館にしたら、雰囲気はいいし、休憩室のバーアイスが食べ放題だったり、貸切風呂があったりして、素泊まりながらテンションが上がる。

少し大きくて冒険のしがいがある旅館が一番テンション上がるものだ。

休憩もそこそこに夜の参道を見に行く。人のいない観光地というのが一番楽しい。普段賑わっているのに、これくらいの時間になるとほとんど人がいないのが別世界感あって楽しい。路地裏で先が見えないような通路があると、つい入っていってしまう。

 

つい入りたくなる路地

誰もいない参道

 

  • 3日目

朝食をとった後、早いうちに金刀比羅宮に詣でた。空はあいにくの雨模様。参拝者が少なくて助かるが、傘を差しながら山登りは少しやりにくい。本殿へ向かう途中で雨脚が強くなってきたので、途中にある神馬の厩舎でしばし雨宿りする。馬がなかなか可愛かった。ルーチェ号はずっと下むいて草食べていて顔は見えず。サラブレッドをこんなに近くで見たのは初めてで筋肉が印象的だった。

ルーチェ号。ウマ娘やっている人は分かる名前が書いてある。

 

神馬 月琴号。とても大人しくじっとしていた。

モヤがかかった山の中。幽玄という言葉がピッタリ。

 

雨脚が少し弱まったところで改めて出発。もやでけぶった山の緑の中を杖のコツコツという音をペースメーカーにして登っていく。

馬鹿みたいに急な階段を登りきると、本宮が見えてくる。人が少なく、幽玄な雰囲気で大変よろしかった。そのまま本宮を過ぎて奥社を目指す。奥者への道中は更に山感が出てきて、普通に山登りになってきた。しばらく山道を登り、いくつかの社を過ぎると奥社が見えてくる。

奥社にはここでしか売ってないお守りが売っており、デザインが気に入ったのもあって買って帰った。普段は全然買わないのに、ここにしかないですよ!って言われると買っちゃう不思議。

奥社

ここでだけ売ってるお守り。結構好きなデザイン。

 

金刀比羅宮を降りた後、駅に向かっている道中になんかいい雰囲気の喫茶店があったから涼を取りがてら入ってみた。

店名は北欧珈琲店クララ。北欧風の内装に、雑誌などが並べられている。いわゆるブックカフェというやつみたいだった。座った席の前にあった四国の旅行本を観ながら、1時間ほどゆったりした

店内には様々な本が並んでいる。

 

その後は丸亀城、坂出人工土地、瀬戸大橋記念公園とざっと見て回った。今朝の雨模様が嘘のようにカンカン照りになり殺人級の暑さになっていたが、景色が遠くまでよく見えたことは良かった。今年は日傘を買ってみたのだが、この日は大活躍だった。やはり常に日陰ができるのは助かる。

丸亀城に特徴的な曲線の石垣。芸術的。

城の上からはこんな景色。

綺麗な山

坂出人工土地。この建物の上部に団地住宅が入っているという面白い構造の建物。

建物だけじゃなく、畑や自販機も置いてある。

 

瀬戸大橋記念公園のマリンドーム。ここもゆゆゆの聖地。

瀬戸大橋。上を走ってみたかったな。

展望台から見えた光の柱

岡山ではB級スポット巡れたし、ゆゆゆの聖地巡礼もできたし、かなり満足な岡山・香川旅行となった。ただ瀬戸大橋を車で渡れなかったことが惜しまれる。タクシーで行くと行きだけで5,000円はかかるとのことだったので今回は断念。また次回行くときがあれば改めてレンタカーで行ってみたい。

寝たら明日が来るから寝られない

と言いながら、1時には限界が来て寝てしまうんだけど…。

 

最近でもない気がするが、寝たら明日が来るから寝たくならないみたいな感覚がある。

当然、1日は24時間で寝ようが寝まいが朝日は同じように登るのだから、とっとと寝て明日に備えるのが一番いいというのはわかってるんだけどね…。

でも、目をつぶってグーッと寝て目を覚ましたら会社に向かう時間で、働きたくねーと思いながら仕事をして、定時で終わったとしても、動画を見て、ギター練習して、何となく飯を食っていたらいつの間にか今日も眠る時間が来てしまう。

明日が来ることに怯えながら、でも仕事はそれなりにこなさないといけないというしょっぱい義務感でしょうがなしに眠りについている。

 

今のところ明確に目にしたことはないが、世の中には「仕事が大好き」という人種がいるようで、そういう人は明日が来るから眠りたくないなどとは思わないのだろうか。

 

そもそも私も、なんでそんなに仕事がしたくないのかと問われると、はて?どうしてだろうか?と首を傾げてしまう。

別に奴隷みたいに働かされているわけでもない。繁忙期を除けば有給もまあまあ取ることはできる。人間関係もそんなに悪いわけでもない。

今までずーっと何となく「絶対に働きたくないでござる!」と思っていたけど、はて、これはいったい何が原因なのだろうとつらつら考えていたら眠くなってきたので寝る。

 

ああ、ずっと夜12時が続いてほしい。

ソロ男性はどこへ行く~

男が一人で出かけるときってどこに行ってるんだろうねってお話。

 

たまにふらふら外に出たい衝動に駆られ、気になるところに行く。現地についてふと気づく。ソロの人間誰もいなくね~? そこそこ人はいるから、もしかしたら周囲に紛れて見えていないだけなのかもしれんけど、やっぱりほとんどいないような気がする。

最近だと、琵琶湖のメタセコイア並木とかびわ湖の見える丘とか行ってきたのだが、周りを見れば家族連れ、カップル、男女複数人でいる人が多く、完全にソロの人は見た限りいなかったように思う。店に入ってもそうで、少なくともその時入った店内ではソロは私一人だけっぽかった。私がそういう複数人で行くようなところに好んで行っているのはあるのだろうが、あまりに見ないので単独世帯が38%もいるってことが信じられなくなってくる。別に単独世帯だからといって一人で出かけるわけでは無いだろうけど、もっとソロの人を見かけてもいいような気がするんだよな。複数世帯だって一人で出かけることはあるだろうし。 

ソロの人って一体どこへ行ってるんだろう。

釣りとかキャンプとかだろうか? 確かに釣りはソロが多そうなイメージがある。あんまりやったことないから知らんけど。ソロキャンもいそうではあるな。やりたい気持ちもあるんだけど、装備を揃えることを考えると面倒くさい気持ちがまだ勝ってしまう…。

俺が最近行くのは、なんか高い丘の上とか、花ガーデンとか、広めの公園とかが多い。そういえば公園なら一人でジョギングしている人はいるけど、あれは「出かけてる」って感じじゃないから数えてなかった。あとジムとかもありうるけど、やっぱり出かけるって感じではないよな。

あ、喫茶店だとソロの人も結構見かけるかも。これ食べに行ったときも、自分の前に男性一人で食べてた人いたし。

モンブラン

やはりタイミングと場所が大きいのだろうか。朝早くとか夕方はソロの人が多いイメージがある。場所は普通の行楽というより、アニメの聖地とかに行けばソロの人は多そうだな。…これ偏見かな?

そもそもソロで出かける人が、他のソロの人を探すっていうのもおかしな感じがするけど、同類の人間があまりに少ないとなーんか気になるんだよな。もっと行楽地的なところにも来てくれー。

 

FF10 始めた キーリカまで ネタバレあり

某MADの影響でFF10の話題を見ることが多くなり、STEAMで配信されていることを知ったので、なんだかんだ気になって購入してしまった。

 

 

事前知識は部分的なもののみ。なぜか通されないキマリとかサッカーみたいな事してるとか「最後かもしれないだろ」って冒頭で言うとかくらいだろうか。

 

冒頭で荒廃した都市で集まっているパーティ一行から物語は始まる。

てかグラフィック綺麗だな!。リマスターとはいえPS2のゲームだろ!?

リマスターにあたって、色々便利機能もあるようだった。スピード倍速にもできるし、ステータス強化もできるみたい。

 

驚いている間に有名なセリフ「最後かもしれないだろ。だから全部話しておきたいんだ」とティーダ

ここから回想形式で物語が展開していくようだった。

 

その後は急に、近代的な都市に場面が変わる。ティーダブリッツボールの試合に出るらしい。

この辺、最初は完全に夢を見てるんだろうと思ってた。自分の知ってる知識と世界観が違いすぎたし。しかし、夢から覚める気配もなく、試合が始まっていく。どうも実際にやってるらしい?

 

そのうちアーロンが登場する。

アーロンって中盤で出てくる謎のお助けキャラってイメージだったんだけど、最初からティーダと知り合いだったんだ!

世界観に似合わない服装のアーロン。ティーダの父親の知り合い?

そのうちシンが街を襲撃して都市は壊滅状態。何故か戦闘をすることになり、やんややんややってるうちに、ティーダらはシンに飲み込まれる。

 

そこから一気に場面が変わり、何故か海賊みたいな連中に拉致され、ここが住んでいた世界から1000年後の世界っぽいぞと判明する。いきなりの状況に混乱するティーダだったが、すぐにシンに襲撃され、気づいたら島に漂流していた。

ここでついにワッカが登場した。ようやく自分が知っている人物に会えた!

 

ティーダはワッカにブリッツボールの腕を見込まれ、一緒に大会へ出る名目でシン討伐に向かうユウナ達について行くことになった。

この時点で自分が知ってるキャラクターは大体揃ったことになる。意外と序盤で役者が揃った印象。

印象としては、ティーダは思っていたよりヤカラ感が強い。ワッカは闇を抱えたいい兄貴分、ルールーはぬいぐるみ持って意味深な事を言うミステリアス女、キマリは喋らない、ユーナはなぜかティーダへの好感度が高い、あとかわいい。

 

特にワッカのいいヤツ感がかっこいい。

ワッカは死んだ弟をティーダに重ねてるらしく、色々世話を焼いていくが、ルールーには、弟の代わりにはならないんだからやめろと指摘されてしまう。それでも自覚ありつつ、ティーダに向き合おうとするワッカがかっこいい。

ルールーに説教されて拗ねるワッカ

おそらく死出の旅路になるのだろうフラグをばかばか立てながら、最初の寺院に向かう一行。船旅の途中でいきなりシンが出てきて、応戦虚しく行き先の村は壊滅してしまう。

シンのヤバさがこれでもかと描写される。海中から突如現れる巨大なシン。逃げる間もなく津波、突風で吹き飛ばされる人々。なぜ生存者がいるのか不思議なレベルだった。この世界では何度もこんな災厄が起きるようで、直しては壊滅するのを繰り返すらしい。普通に人類死滅しそうだな。

村が壊滅

その後、なんやかんや寺院に参拝し、召喚樹イフリートを手にして次の目的地に向かっていったのであった。

 

思っていたよりグラフィックが綺麗で驚いたし、倍速機能もあって、そこまで古いゲームと感じなかったな。

あとは、自分のモチベーションがRPGの長さに耐えられるかどうか。

ギター始めた話

何事も始めた頃のことを記録しておくのは良い効果があるらしいのでここに記録しておこう。

3週間ほど前にギターを買って、意外と続けられている。6万ほど出して1週間続けばいいほうかなーと思っていたので結構意外だ。

 

当面の大目標は般若心経に伴奏を付けて唱えること。

仏教趣味が少し高じて、般若心経を覚えたのだが、ただ唱えるだけなのもつまらんな~と思っていたところに、そうだ!ギターをやってみよう!と直感が来た結果こうなった。

なぜギターを始めたかについては色々流れがあったのだが、もともとのきっかけはツイッターで見たこの動画だった。

AとかBとかCとかよく分からん記号が並んで、それぞれの記号にどんな役割があるのか説明がされている。

さて最初見たときの印象だが、何を言っているのか全く理解できなかった。なんかコード?とかいうものなのだろうとは思っていたが、コードが何かも理解していないくらいの知識しかなかった。

ただ、どうも音というのは調味料みたいにそれぞれの役割があるらしいことだけは何となくわかった。

で、この動画で何を言っているのかを理解したいなーと何故か思った。

 

とりあえずコード=和音というのを知り、ドレミとハニホとCDEの対応を知り、音階と振動数との関係、ピタゴラス音律から純正律平均律とかを調べた。学生時代の音楽の話など微塵も覚えていなかったが、自分で興味を持って調べてみて大体輪郭は掴めてきた。

面白いのは音階の作り方が「何故か気持ちいいと感じる」音の組み合わせを探していくという完全に主観的な方法だったところ。どうして気持ちいいと感じるのかと言うのは多分諸説あるんだろうけど、ともかく西洋音楽は何となく気持ちいい音を追求していって作られたようだ。

 

それからしばらくはタブレットのピアノアプリでどんな音が出るのか試してみたりしていた。なんだかんだ触れているうちに面白くなってきたところで、ギターを触ったことがないことに気づいた。音楽の授業で選択肢はあったものの、当時はあまり興味がなく結局触ることなくこれまできてしまった。

また、普段から見てる配信者でギターやっている人がいたので、それにも影響を受けて、ギターをやってみることにした。

ここに仏教趣味が悪魔合体した結果、なぜか般若心経に伴奏をつけるという発想が誕生したのだった。

 

というわけで5月末頃についにギターを買うことにした。

エースコンバットゼロの「ZERO」に憧れて、フラメンコギターを取り寄せて購入した。

教則本も買って、よーし弾いてみるぞーと意気込んで弾いてみたが…

想像の10倍難しかった。

 

音が全然綺麗に鳴らせないのである。曲を弾くのはそれは大変だろうなとは考えていたが、まさか単に音を鳴らす段階でこんなに難しいとは思っていなかった。

初回から盛大にコケたところで、やり方を考える。

何事も最初のうちは「気持ちいいーーーーー!!!」と脳汁を垂れ流す何かが必要だ。スプラトゥーンで敵のインクをかいくぐってボールドマーカーでぶっ倒すときのあの感覚だ。

そんなわけで、脳汁を垂れ流す何かを見つけるためYouTubeの密林に入っていたのだった。

どうやらカントリーロードのサビはコードが単純で初心者向けらしく、とりあえずやってみる。

………………。

ゆっっっっくりとやればできなくはないが、やはりなかなか難しい。

初心者向けって言って、全然初心者向けじゃないじゃねーか!と理不尽な気分になってしまう。

それでも、何度もやっていればなんとなーく指も動くようになってくる。1日目より2日目、2日目よりも3日目と結構上達している感覚を得られたので、意外と楽しくなってくる。脳汁垂れ流す程ではないが、意外と面白い。

 

買ってから1週間、毎日ギターを触ることはできたので、ちょっと本格的に先生に習いに行こうと週一で教室に通っている。

やはり人に教えてもらうと効率的な気がする。例えば、最初からちゃんとしたコードを押さえず、とりあえず指2本で弾けるようにするとかは自分では絶対に思いつかなかった練習方法だった。

そんなわけで、ぼちぼち進められているので、ゆったりと楽しみたい。

 

30歳になってしまった!!!!!!

30歳になってしまったよ!!!!

30だよ30!。三十路だよ!!

人生90年として3分の1終わっちゃったよ!!

 

というわけで無事30歳となりました。

まあ、30だからなんだということでもありますが。

明日も明後日も太陽は東から昇って西に沈むし、水は上から下に落ちるし、明けない夜もなければ沈まない太陽もありません。

けども!

まあ、一つの区切りとしては30というのはちょうどいい時期なのかもしれんと、こうして記録を取るに至った訳でございます。

 

30歳のキャラクターって誰がいるんだろって思って、一覧見てたら「るろうに剣心」の志々雄真が30歳だった。

俺もついに志々雄真の年になったのか…。大概のゲーム・アニメの主人公は大概年下しかいなくなってるな。

 

この歳になってくると、結婚できるのかどうか…、一人でこの先もやってけるんか…?という考えも出てくる。

今までは孤独耐性高いほうだし、一人で色々気楽に行くの楽しいし、別に一人でいっか~と考えていたのだが、最近になってリアルの友人らも結婚ラッシュの報告を聞いては妙に動揺して、実はあまり孤独耐性無いんじゃないか?とも思い始めている。

コロナ禍で結婚相手が欲しくなるというよく聞くアレみたいなものですね。

とは言え、今まで恋人とかを作る経験をしてこなかったツケが来ており、なかなかそういう行動にも移ることができず、一時のご縁で食事等をするにしても上手く話すことができず、まあ、なかなかに難しいものでございます。

結婚云々はなくとも、気楽に何かに誘えるくらいのリアルの友人はもう少し作ったほうがいいんじゃないかと思いながら、ぼちぼち精神に変調をきたさない程度に進めて行きたい所存。

 

ついこの前には、不定期で来るメンタル落ち期で、まあ欠陥製品感とでも言いましょうか、こう何かが足りない感に襲われ、「ハアアァァ~、キッツ~~…」となっとりました。とはいえ、もう中学くらいから付き合ってきた感覚ですので慣れたもので、こういうときは美味いもん食って寝て、とりあえず放っておいて超回復を待つというのを実践しておりました。

この「キッツ~」の正体ですが自分が思うに、私は何か「理想の人間像」みたいなものをいつの間にか思い描いていて、自分に欠陥があると思っているように感じます。

例えば結婚している人間、例えば人と上手く話せる人間、例えば生活環境をきちんと整えられる人間、例えば仕事で成果を出せる人間。例えば努力ができる人間。

そういった者を理想的なものとして捉えて(実際全部できたら現代社会的には理想なんですが)、俺にはできねーーーー…と苦しんでおるな~といった感じです。

ついでに言えば、この苦しさに対して、「いや努力しなさいよ」という自分の心の声も、まあしんどいものです。実際何か解決に向けて努力してるんかい?と聞かれたら「いや…まあ、ぼちぼちとね…」と口を濁さざるをえない訳ですが、こちらも注意リソースが日々かっつかつの状態で生きておりますので、なかなかそちらに注意を振り分けるのが難しいというのが現状です。…と、なんか言い訳がましくなるのもなんだか嫌で、結局「キッツ~」となってしまう。

 

ああ、このまま老いて病んで死ぬんか~と思う反面、別の角度から、とりあえず感じることは感じた上でどうにかなるやろと考えている自分もまたおります。

 

仏教の考えではこうやって、理想的な何かを勝手に設定して、比較し、それに苦しむと言うのは典型的な人間の有様(凡夫)と言われるのでしょう。そういう意味では私は何も欠陥なんて無いごくごく普通の人間とも言えます。逆に言えば私を含め皆が欠陥ばかりとも言えます。

 

凡夫は常に何かを求めるがゆえに、ただここにいて座ってくつろぐこともできないとなんかの本に書いてあったように思います。ここにただいて、ただ座ってくつろぐことができればまさしく安楽の法門でありましょう。

とは言え、それができりゃあ苦労しねーよってなもんでして。

結局私たちは現代社会の資本主義のもと生きておりますので、上に書いたような理想の人間像をある程度追いかけるから社会ができているところもありましょう。

例えば出家したところで、今の日本社会の論理の中で飯食って生活する以上、ある程度の社会性は問われるし、出家後の社会で上手く生きる人間を理想として苦しむのが私の限界でしょう(出家なんてミリもする気ないけど)。

 

ただ、仏教的な価値観でものを見て、それを社会の中で活かす道は有るのではないかと思ってはおります。

なんというか、今まで自分の苦しみだったものが、仏教的な視点から眺めてみると「興味深い、おもしれ~対象」になることがたまーにあるように感じます。

直近だと、5分でいいから食事しながら楽しく話をする経験がしてーとツイッターに投げたら、なかなか参考になる意見が集まったのでした。

今までであれば、「話し方を向上させましょう」とか言われたら「うるせー! こちとら散々やってきたわボケ―」となっていたように思いますが、今回のようにふら~っと考えてみると「なんでできんのやろ…おもしろ~」となりました。まあ、仏教のおかげかどうかは知らんけども、面白くなったので何でも良いでしょう。

 

あと、2週間ほど前からギターを初めて、意外と続いているのも面白いもんです。

6万くらい出して、1週間持つかな―と思っていたが、自分だけでも結構続いたので、今は週に一回だけ先生に習いに行っております。

こういったことにお金を振り分ける金銭的な余裕もできてきたということだろう。当然もっと欲しいは欲しいけどな!(まさに渇欲!)

 

こんなところだろうか。

今後の目標みたいな事も書いたほうがいいかなと思ってたけど、目標特に無かったわ。いつも通り、今まで通りゆるゆると歩いて、疲れたら座ってくつろぐくらいのものでございます。