お釈迦さんの伝説で、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられている。「世界において唯だ我独りとして尊し」という意味らしい。
何かと比較したり、何かを足すことで尊いのではなく、個々人がただここにあることだけで尊いということだ。
最近ここの「尊し」ってどういう感覚なんだろうと考えていた。
普通に考えると「命って尊いよね」と言うときの「尊い」と同じ意味に思える。
そういう意味合いもあるのかもしれないけど、最近はそういう一般的でポジティブな意味ではないんじゃないかと考えている。
だって、ただあるだけで尊いなんて言えない人が世の中にはいる。
臭くて小汚くて、プライドが高くてすぐ怒る中年のおっさんを尊いと言えるか?
昼夜を問わず何度も相談に乗って、寄り添ってきたのに、些細な事で激怒し、自分の悪口を吹聴する人間を尊いと言えるか?
親が死んだからといって、手を尽くしてくれた医師を撃ち殺す人間を尊いと言えるか?
家に押し入りガソリンを撒いて、大勢の人を焼死させた人間を尊いと言えるか?
俺は言えない。
けれどお釈迦さんは独りで尊しと言う。
これをどんなものも(命のように)尊いと解釈するのは、違和感を覚えることが多くなった。
だから解釈の方を変えてみる。
ここの「尊い」は「ここに、このように有ってしまった」という諦めの気持ちなのかもしれない。
そして「あなたも、ここに、このように有ってしまったんだな」と哀れむ心持ちなのかもしれない。
「ここに、このように有ってしまった」のは何かと比較して有るわけじゃない。何かを足したり引いたりして有るわけじゃない。
だからこそ唯だ我独りとして、ここに有るのだ。
と、こんな解釈をするのが好きになりました。
当然仏教の教科書的な解釈とは違うかもしれないけど、個人で考える分には問題ないだろう。