好きなことを語れないコンプレックス
私はあまり語る・話すことが得意じゃない。
それは人と話すことだけじゃなくて、好きなことを語ることも含まれる。
誰かが聞く「あなたの好きなこと・ものは何ですか?」
私が答える「○○が好き」
誰かが問う「どういうところが好きなの? どうして好きになったの?」
私は答える「うーん、よくわからないけど好き」
私の好きな物を人に聞かれたときって、内心では大体こんな感じ。
人によってはこの「よくわからない」という回答を正直にすると、「本当に好きなの?」みたいな反応を返されることもあるが、分からんものは分からんし、好きなものは好きなのだ。
たまに、好きなことならずっと話し続けられるって人がいる。そういう人に憧れとともに、語れない自分にコンプレックスを抱いていたりする。
物によっては、「この場面が好き」とか「こういう行動をするのが好き」とかくらいは言えるかもしれない。でもそこまでだ。「どうしてその場面が好きなの?」と言われたら、やっぱり「よく分からないけど好き」に辿り着く。
ブログ内でこの特徴がよく表れているのがこの記事。端的に言うと「とにかくいい」くらいしか言っていない。
どれだけ好きな場面や好きなセリフや好きな展開を羅列しても、どれも「その作品」が好きな理由にはならないような気がしてしまって、確かにどれもその作品の魅力の一つなんだけど、それを全て足しても、その作品の魅力にはなりえない感じ。
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よく分からなくていい
最近はもう、自分にとっての良さがよく分からなくていいんじゃないかと思い始めている。
だって、もしも好きな物の魅力が、完全に論理的に説明可能なものばかりであったら、それはもはや単なる機械的な選好になってしまうだろう。
例えば、「この作品は~~の要素があり、私にこういう影響を与えるから好きになった」とか、「この展開が起こることで脳の特定部分を刺激して快感を感じる」とか。そんな風に合理的な理由を説明できるのであれば、私たちはロボットのように決められたとおりに作品を好きになっているだけで、好きな作品を観た時のあの感動や高揚感が入り込む余地は、そこにはない。
言葉・論理では表せられない、我々には計り知れない何かがあり、それが感動や高揚感を生み出しているとした方がなんだか個人的に好きだ。
…なんだかイデア論みたいな話になってしまった。
まあ、でもやっぱり人と好きな作品について語り合いたいという欲がなくなるわけではないし、全てを言葉では表せないとしても、ある程度感動を言語化できるようにはしたいですね。