沼メモ

FF14(槍鯖)、その他ゲームやらなんやらの話題を書きたい。

死を考えるということ

ドライブしていると色々なことが頭をめぐって面白い。今回は死ぬことについてつらつらと今の考えを書いてみたい。

 

私は今のところ幸いにして二等親以内の肉親が亡くなったことも、身近な友人が亡くなったこともなく、葬式に出たこともまだない。なので、今後そういう経験をしたら考えが変わる可能性は多分にあるものの、現状の記録を残すのも面白いだろうと思う。

 

・「死んだら何もかも消えて終わり」信仰

とりあえず現状として、私は「死んだら何もかも消えて終わり」派の信仰者だ。現代日本だと結構多数派だと思っているんだけどどうなんだろ。

 

もちろん肉親が亡くなったら火葬して、遺骨を墓に納めるだろう。でも、じゃあ亡くなった人があの世とか天国に行って楽しく暮らしてるとか、もしくは生まれ変わって次の人生を歩んでいるとか「本気で」「心の底から」信じられるかと言われたら、私はできませんと言わざるを得ない。

 

当然、自分が死ぬ時も同じで、何もかも消えて終わりだ。

 

・死ぬことの恐怖

最近はほとんどなくなったが、昔はちょくちょく死んだらどうなるのだろうとか考える時期もあった。中学生くらいの時だったか、少し本気になって死ぬときのことを考えたことがあって、死んだら何もかも無くなるって考えてたらぞっとしたことを覚えている。自分が今見ているもの、過去に見てきたもの、未来に見るだろうもの、自分を取り巻く全ての人・物・世界が消えて無くなって何も残らないということに戦慄したのだ。

 

それ以来、本気で死について考えることはあまりしないようにしていた。あの究極の虚無みたいな感覚はあまりにも恐ろしすぎた。

 

もしも死後の世界や生まれ変わりを信じることができれば、そこまで恐ろしいものでもなくなるのだろうか。

 

タイなどの上座部仏教が盛んな国では死後に転生するという感覚の人が一般の人にも多いそうだ。「死んだらどうなるか? 生まれ変わるじゃん。常識的に考えて」といった感じだろうか。伝聞話だから眉につば付けて聞かないといけないが、なんとなくイメージ的にはありそうな話だ。

 

そのレベルで生まれ変わりを信じることができれば、死ぬことの恐怖自体は多少軽減されるのかもしれない。まあ、そうしたら今度は来世の心配しだすかもしれないけどね。
とはいえ、今更生まれ変わりを常識レベルで信じることなどできるわけでもない。結局私にとって死ぬのは恐ろしいままだ。

 

たまに「明日死ぬと思って生きれば人生が豊かになるよ」的なことを見聞きすることもあるが、少なくとも今の私にとってはピンとこない。あんな虚無の感覚を抱いたまま生活していたら、遠からず発狂するように思える。死ぬということに目をそらし続けているからこそ、何とか日々を生きていけるというのが今の私の感覚だ。この辺は加齢と共に変わっていくのかもしれないけどね。

 

なんだか、死ぬの怖いということしか書けてないな。

 

でも、例えば今が本当に苦しくて七転八倒している状況であれば、死ぬのが救いに思えるのだろうとも思う。死んだら当然今の苦しみも消えるのだから。

 

・生死の不自由さ

とはいえ、死ぬのが怖いと言ったり、死ぬのが救いと言ったりしたところで、どうすることもできはしない。

結局死ぬにしたって、自分で自由に死ねるわけじゃない。死ぬに至るプロセスがあり、死ぬに至る身体・脳の活動があり、因果があって死ぬのだ。

 

死にたくない死にたくないと思っていても、次の瞬間に死んでるかもしれないし、逆に死にたい死にたいと思っていても生きてしまうこともある。

生きるとか死ぬとか自分でどうこうできるものではないと私は思ったりする。

 

結局のところ、死ねないのなら生きるしかない。

生きるしかないのであれば、そこそこ楽しく生きたいものだ。